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伝えたい話・残したい話

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2016/12/02(Fri) (第2363話) すごい母です寺さん MAIL 

 “私の母は九十一歳です。昨年十月から一時期、寝たきりになり、もうこのままかと思いましたが元気になり、一人暮らしをしています。
 毎日、私が食事を届け、姉は掃除、二人がかりでお風呂、と大変でしたが、母への恩返しと頑張りました。そんなとき母は「お正月のおせちを作るから、それまでに必ず冶す」と、背中への注射の痛みにも耐えました。でも、痛みは取れず動けない。そこでおせちは母の細かい指導で私が作りました。
 次に母は「二月に節分の恵方巻きを作る」と言い、私をアンスタントに、三十四本の巻きずしを完成させました。ご近所さんに配ることができ、とてもうれしそうでした。
 それから調子に乗り、三月のお彼岸にはぼた餅百九十四個を作りました。ほぼ復活したのです。四月のお花見にはアジずし、鉄火巻き、かんぴょう巻きなどで、何人の人を喜ばせたか数えられません。九月のお彼岸のおはぎは二百二十個。ご近所、友人に配りました。料理を考え、作っていることが幸せという、母の前向きな姿勢が、九十一歳いという年齢に負けずに元気でいられる秘訣のようです。
 この一年、私はいろいろ手作りを教えられましたが、まだまだ母のものを食べる専門でいたいです。”(11月8日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の主婦・冨永さん(65)の投稿文です。「すごい母です」と言われるように91歳にしてこの意欲には全く凄いですね。元気な高齢者をいろいろ紹介してきたが、冨永さんのお母さんは大関横綱クラスです。寝たきりになるかと思った人が、完全復活、このようにたくさんの料理を作り、ご近所、友人に配られるとは。人の喜ぶことをしたい、これが原動力でしょうか。自分だけのことだとすぐにあきらめることもできるが、人に期待されていたら簡単にあきらめる訳にいきません。頑張れるだけ頑張ろうとします。例えばボクの川柳連れ連れ草も、投稿されてきたら放って置く訳には行きません。気が乗らなくても忙しくても何とかします。これがいざという時ボクの生きる原動力になったらありがたいですね。皆さんの協力でその可能性は十分にあります。
 川柳連れ連れ草第179号(平成28年11月号)に次のような投稿文を掲載しています。「82歳になる義母には102歳になる母がまだ元気でいます。両親共にもうとうにいない私は、80を越えてもお母さんがいる感覚ってどんな感じなんだろうといつも思ってしまうのですが、折にふれ、姉妹でお母さんに会いに行くのを羨ましく見ています」。80歳の人が「お母さん、お母さん」と呼ぶ、本当にどんな感覚でしょうか。いろいろ投稿文を読んでいると、ボクよりはるかに高齢の人が親について書いている文をたくさん見かけます。幾つになっても親は親、歳には関係ないようです。いや、歳いくほど親を思うのかも知れません。人間の良さ、有り難さだと思います。親あっての自分ですから、親や先祖を大切にする気持ちをなくさないようにしたいものです。




2016/11/30(Wed) (第2362話) ムカゴ寺さん MAIL 

 “穂田では黄金の粒がこうべを垂れていた。裏山に分け入ると既に栗が落ち、誰が拾ったか一面イガ栗のじゅうたん。見上げれば色味深まる柿の実。山裾はまだつるで覆われているが、中に大好物がある。細長いハート形の葉っぱの裏で肥大したムカゴだ。目の前のごちそうに慌てそうになるが、そっと採らないとぽろぽろ落ちてしまう。片手を受け皿に収穫、口に運ぶと山の幸を独り占めした気分になった。この素朴な食は世間でいう別腹感覚のおやつ。低カロリーで栄養たっぷりの味覚は山芋の味そのものだ。
 小さいころは毎年、父と山芋を掘った。ムカゴの時期、芋づるをたどり、付け根に目印をする。紅葉が終わる初冬、丹念に掘れば天然の山芋が採れる。大きなものだと半身を大地に埋めての半日仕事だ。正月、子どもは芋汁ご飯で父はそれをすすりながらお酒を飲んでいた。今年は久しぶりに息子たちと掘ってみよう。”(11月1日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の会社員・成瀬さん(男・47)の投稿文です。成瀬さんの思い出は自然にできた山芋掘りである。自然薯とも言うであろう。山芋掘りは半日仕事であったという。そこにムカゴが落ちていた。それを大切に採っていた。この文を読むと、それをその場でそのまま食べたと読めるが、本当であろうか。
 ボクは長芋を作っている。大好きで、とろろご飯が特にいい。この長芋掘りも大変な作業である。最近は楽に掘れる作り方もあるが、ボクは自然に任せて作っている。1m近く下へ伸びている。少し焦って掘るとすぐに折れてしまう。最後まで深く掘るの大変な根気と労力である。大した量ではないが何日にも分けてする。この作業をもう何十年とやっている。
 長芋と山芋とはかなりの味の違いがあるようだが、ムカゴは同じようにできる。わが家ではムカゴを食べたことはない。この文を読んで先日、わが家の畑に残っていたムカゴを拾ってきた。そして妻にムカゴご飯を作ってもらった。芋に似た素朴な味である。色は黒いが味は赤飯とあまり違わない。十分食の足しにはなる。今までもったいないことをしてきた。これから毎年の食になるだろう。




2016/11/25(Fri) (第2361話) 祭りに同行寺さん MAIL 

 “八十歳の叔父が入院しています。主治医から「がんが全身に転移していて、いつ、何が起きても不思議ではない」と言われています。先日、看護師から電話があり、「叔父さんが祭りを見たいと言っています。連れて行ってあげられませんか」と言われました。見せてあげたいと思いつつ、二人きりのときに容体が急変したらと不安で断りました。
 すると、再び病院から電話があり「主治医が一緒についていくので安心して」と言われました。私は「そんなことまでしていただけるんですか」と答えるのが精いっぱい。涙が出てきました。
 当日は私の軽ワゴンに叔父と主治医を乗せて移動。町を練り歩く山車を見せてあげられました。主治医はずっと穏やかな表情で、叔父の話に相づちを打って聞いてくれました。医師への感謝とともに、叔父さんを祭りに連れて行ってあげられて本当に良かったと思います。”(11月1日付け中日新聞)

 「ホンネ外来」という欄から静岡県の68歳の女性からの投稿文です。「ホンネ外来」と言う患者さんの意見を募集している欄からです。この欄からて取り上げたのは初めてでしょう。不満や苦情の意見が多い。そんな中、患者さんの希望に添って、祭りにまでつきそうとは、素晴らしい思いやりのお医者さんである。家族が感謝する訳である。死を間近にしたとき、人は何を希望するか。求めるものがあるのかないのか、様々であろう。今何を思おうと、その時にならねば分からないだろうが、これをしたらもう死んでもいいと思えたら、これはひとつのありがたさではなかろうか。
 医者と患者、立場は全く違う。患者は医者に頼りつく。時によっては命に関わる、当然医者の立場は強くなる。その違いが態度に大きく現れていた。それは一昔前のこと、今では多くのお医者さんが本当に優しく親切になったと思う。患者様と呼ぶ病院もあるという。これには様々な意見があるが、ボクには違和感があり行き過ぎと思う。何事も人として対等でありたい。いくら偉いと思っているお医者さんであっても、患者が来なくては力の発揮しようもないし生活も成り立たない。お互いを思いやり、感謝する。この気持ちだけである。




2016/11/23(Wed) (第2360話) 鉛筆型人間寺さん MAIL 

 “あなたには理想とする人間像があるだろうか。人間誰しも理想を描く。周りの人を参考にしてもいい。尊敬できる家族、先生、友達。理想とする人間像に近づこうとすることで、人生はより生き生きしたものになるだろう。
 自分の理想像を考え始めのは中学三年生のころ。今も尊敬する先生に、受け持っていただいたことがきっかけだ。それからは、むさぼるようにさまざまな本を読み、理想像を探してきた。行き着いたのは、自分の芯を持ち、周りへの気配りや目配りを忘れず、いつも思やりを大切にできるような女性だ。一言で言い表すなら、「鉛筆型人間」だ。友達から聞いて知った言葉だが、芯が通り、周りに「気」(木)を使い、自分の身を削って役立てる人という意味。将来そんな人間になりたいと思う。”(11月1日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の高校生・佐藤さん(女・18)の投稿文です。鉛筆型人間とは、またいい言葉を聞いた。芯が通り、周りに「気」(木)を使い、自分の身を削って役立てると言う説明は的を得ている。鉛筆もこんなふうに例えられるのだ、ボクは知りませんでした。いろいろ本を読み、勉強し、それを自分の理想像とする。これなら忘れないでしょう。理想像を持てることはありがたいことだ。立派なものだ。尊敬できる先生に会われたのが良かった。いい友達に恵まれたのが良かった。「類は友を呼ぶ」と言いますが、似た者同士は自然と集まってくるものです。佐藤さんは勉強家です。だから友達もそうでしょう。
 「類は友を呼ぶ」と言う諺をボクは「類は類を呼ぶ」と思っていた。調べて見たら明らかに違っていた。そして違って覚えている人が多いことも知った。意味を考えたとき「類は類を呼ぶ」の方が納得しやすいからではなかろうか。でも間違いである。




2016/11/21(Mon) (第2359話) 指輪寺さん MAIL 

 “「指輪、出てきたぞ」。畑から戻った夫が言います。二十五年ぐらい前、畑で芋を掘っていたときだったと思うのですが、なくしたことがありました。指から抜けてしまったようで、「あーあ、なくしちゃった」とがっかり。夫が新しい指輪を買ってくれましたが、仕事の関係で、長い間はめたことはありませんでした。
 見つけたのは、畑で土を起こして、草や石なども分けていた時。「缶の切れ端かな」と思ったそうです。よく出てきたものです。長い間、土の中に入っていたんですね。娘は「モグラの子どもが王冠にしてたけど、大きくなったので返したんやね」。そう、ずっと王冠にして着けていてくれたのかもね。
 十月は私の誕生月。結婚四十一年目を迎えました。思ってもみない、うれしいプレゼントに思えました。ちょっとごつこつした指になりましたが、見つかった指輪はスムーズに入りました。親を送り、子どもたちも家庭を持ち、今は夫婦の生活になりました。これからお互い補い合いながら、やっていこうと思います。縁あって、人生のパートナーになったんですもの。マニキュアを塗って、ちょっとおしゃれしようかな。七十歳の秋に。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県川越町の主婦・井上さん(70)の投稿文です。25年も前に畑でなくした指輪が出てこようとは、また驚いた話です。こんなこともあるのだ。何か幸運が降ってきたようで嬉しかったことでしょう。こんなことがあると気分も前向きになり、新たな発展も起きます。人生誰にも時折こんな幸運もあります。こういう機会をうまく利用したものです。井上さんは、改めて夫婦のありがたさを実感されたようです。
 ボクが畑でなくすのは鎌や鋏です。気をつけているのですが、どこに置いたか分からなくなります。何かの時に見つかるのですが、もう錆びて使い物になりません。ボクにはこんなことばかりですが、怪我がなかったことを良しとしましょう。
 それにしても、再び指輪を買ってくれるとは優しい旦那さんですね。無くしたとき、どのように言われたでしょうか、散々嫌みは言われなかったでしょうか。ボクは結婚後、アクセサリーを妻に買って贈ったことはあったろうか。ほとんど記憶が無い。




2016/11/19(Sat) (第2358話) 家族の会話遮断寺さん MAIL 

 “帰宅すると、突然テレビが故障をしてしまったという。テレビを誰も見ていなくても音声が流れているのがわが家の日常となっていて、食事中はテレビを見ながらの「ながら会話」で番組の話が中心です。
 職場の同僚とは仕事について共通の話題もすぐに見つかり、会話に悩むこともありません。家族とも気兼ねなく会話できると思っていましたが、テレビがないだけで、無言の静かな夕食になってしまいました。
 テレビの故障による気付きは、テレビが家族間の会話を遮断しているという事実でした。お互いの顔を見ながら話すことの大切さを知りました。相手の表情を見ながらの会話は、食事の楽しさを倍増させてくれることを発見しました。家族と正面から向き合っての会話に悩むとは思いもしませんでした。テレビが直っても、家族だけの会話を楽しのが絆を強める道だと、今は感じています。”(10月30日付け中日新聞)

 三重県松坂市の会社員・山本さん(男・60)の投稿文です。テレビの影響は大きい。日本人にテレビのない生活はあまり考えられない。功は大きいが、罪も大きい。これは見る側にかかっている。何をどう見るかである。特に人と一緒の時の食事中に、例え家族でもテレビを見るのは避けたい。会話の全くの妨げである。ボクはよほど気にする番組がある時以外は見ないことにしている。これは若い時からである。わが家の鉄則でもある。山本さんも食事時のテレビのない効果を知られたようだ。良かった。この文で、誰も見ていないのにテレビがついているのが日常と言うことに驚いた。テレビの電気消費量は大きい。こんな無駄は止めた方がいい。わが家では絶対という位ないことである。最近は若い人にテレビ離れもあるのようだが、スマホなど何かの形でテレビ番組は見ていよう。でも最近のテレビ番組は制作者の思考を疑う番組が多い。そういうことでは、ボクはテレビ離れを起こしている。一億総白痴化という言葉があったが、今はその時代をはるかに超えていると思う。




2016/11/17(Thu) (第2357話) 食事変えただけで寺さん MAIL 

 “昨年の人間ドックで、コレステロール値や尿酸値などの項目で「イエローカード」が出た。体重も前年より3キロ増えた。再診で医師から「薬を処方するまでではないが、運動をし、酒はやめるように」と言われた。酒をやめるのは嫌だが、運動ならできると思い、休日や長期休暇中の空き時間を使ってウォーキングをやった。だが週に数回では、全く効果はなかった。
 今年4月、元同僚が転動してきて再び一緒に働くことになり、驚いた。がっちりタイプだった彼がスリムになっていたのだ。「どうやって?」と問うと「食生活を変えた」の一言。それしかやっていないという。
 すぐに、飲食量をコントロールすることにした。昼はご飯を少なめにし、コンビニで買うおにぎりは三つだったのを二つに。ラーメンは大盛りをやめた。夕飯の際の発泡酒はできるだけ2缶にとどめ、それ以上はノンアルコールビールに。もったいないと思ってすべて食べるようにしていたが、それもやめた。
 今年8月の人間ドック。驚いたことに全ての数値は標準値になり、体重も2.5キロ減となった。これほど体のことで変化があったのは初めてだ。同僚の実践伝授に感謝したい。”(10月30日付け朝日新聞)

 静岡県牧之原市の高校教員・池ケ谷さん(男・59)の投稿文です。太る原因は食べ過ぎにある、至極当然のことである。ダイエットも何もない、食べなければ増えないのである。ところがこれが豊かな日本人にはできないのである。余分なお金を使って余分な体重を増やしている。その結果、体も悪くしている。何とも愚かなことである。これほど考える間もない愚かなことを多くの日本人が犯しているのである。それ程に食欲に勝てないのである。食べて増やさないように苦しんでいるのである。こういうボクは、長年体重の増えに悩んだことはなかったが、今年ついにその体験をした。尿漏れからつい行動が控え目になる。食欲は変わらない。当然体重は増える。半年で4kg程増え人生最大の体重を記録した。これではいけないと、減量を決意したのが9月下旬である。食事量を減らし、食べ方を変えた。行動も活発にした。そして1ヶ月半、ほぼ元に戻った。増えたばかりであるので、減るのも早かったのだろう。この文を書くに当たっていろいろ調べて見た。ボクはオムロンの体重体組成計を使っている。いろいろなデータが出て面白い。参考ではあろうが励みになる。池ヶ谷さんが言われるように適当な体重の効果は大きい。心がけたいものだ。




2016/11/15(Tue) (第2356話) 年重ねた顔寺さん MAIL 

 “何年ぶりかで、娘が写真を撮ってくれた。それを見て思わず「やだ、七十歳のおばあさんが写って」と声をあげてしまった。娘は平然と「いつもの姿そのままだよ」と笑う。孫に「ばあちゃん」と呼ばれて戸惑った時期もあったが、今や私の呼称として定着した。化粧っ気はなく、視力も弱い。どこから見ても年相応に違いない。鏡は見えるが、老眼は進む。記憶する自分の顔は何年も前のままなのだろうか。
 自分の歴史、家族の歴史が納まったスナップ写真を見返して、自然にこぼれ出た家族の心の明暗を発見したこともあった。平凡な日常では見過ごす老いも、カメラは逃さず活写する。いつかこの写真を見て「あのころはまだ若かったね」と、年をとった娘と感慨にふける日が目に浮かぶ。
 一生を貫く長いストーリーの一瞬を切り取って、そのときどきで新鮮な発見をもたらしてくれる写真。この一枚は、普段開けない引き出しに封印することにした。”(10月23日付け中日新聞)

 三重県津市の丹羽さん(女・68)の投稿文です。年老いたことはなかなか認めたくないものである。元気であれば尚更であろう。最初のショックは電車などで席を替わられることであろうか。ボクも最初の時はびっくりし、苦笑いしながら座らせてもらった経験がある。孫ができておじいちゃん、おばあちゃんは割に自然に受け入れられるだろう。孫の自然な呼び方である。ところがボクは「オオパパ」と呼ばせている。パパのパパだからオオパパである。これは婿方のおじいちゃんと区別する意図も含まれている。今だオオパパと呼んでくれるが、いつまで続くだろうか。
 写真は素直なものである。取り方によって多少の違いはあるものの、それが素顔である。歴史がその顔を作ってきたのである。受け入れるより仕方があるまい。と言うより堂々と受け入れればいい。60代後半はまだおばあちゃんと言えどもまだ十分に若い。問題はこれからである。若作りしながら頑張って下さい。




2016/11/12(Sat) (第2355話) もらっていない贈り物寺さん MAIL 

 “おつかいに行くのに手頃な手提げかばんがなく、娘の部屋でお気に入りを拝借しようと手に取った。何やら入っている。「お母さん誕生日おめでとう」と書かれたカード付きの包みがあった。「えっ!? 誕生日は過ぎているのに」。忙しい私に渡しそびれ、あきらめて忘れてしまったのか。
 娘は昨春に社会人になったが、学生だったころは誕生日プレゼントをもらったことはない。仕事にも慣れ、娘に余裕ができたのか。涙が出そうになった。実はまだ娘からもらっていないのに。
 私の母は特別な日にプレゼントしても「もったいないお金使うて」と使わずにたんすにしまった。「母のために悩んで買ったのに」と悲しかった。もったいなくて使えず面はゆかったのだろう。プレゼントはそのまま部屋に置いて、時がきたら感謝の気持ちを伝え、使わせてもらおう。別の手提げかばんを持ち、高揚しておつかいに出掛けた。”(10月23日付け中日新聞)

 三重県四日市市のパート・森下さん(女・47)の投稿文です。お母さんの誕生日祝いに鞄を買ったのだが、渡しそびれてしまった。それをお母さんが見つけてしまった。ほほ笑ましい話である。この結末がどうなるか、気になるところである。さて、娘さんは本当に忘れていたのだろうか。機会を逸したのだろうか。そうとは思えない。ボクが推測するに照れくさくて渡せなかったのが本当ではあるまいか。しなれていない良いことは意外に照れくさいのである。ボクなど妻にプレゼントはできない。アリガトウなど感謝の言葉は常に言っているのにである。でも、母親と娘さんの間である。娘さんの部屋に勝手に入り、娘さんのものを勝手に使う親子仲である。そんなテレはないと思うが・・・・。どこが真実であろうか。




2016/11/10(Thu) (第2354話) メモ取り読書寺さん MAIL 

 “九月二十八日付の本欄「読書法二つのこだわり」を読み、投稿者が映画の原作を読んでから映画を見て、文章と映像の素晴らしさを満喫している点に共感しました。今はインターネットで検索すれば何でも分かる便利な時代ですが、自分自身で考える力が明らかに低下していると数年前から感じています。テレビやネットに慣れると、長い文章を読むのが面倒になり、内容も理解できていないような気がしてなりません。
 しかし読書ノートをつくり、読んだ本や新聞で新たに知ったり、感じたりしたことを少しずつメモするよう心掛けると、徐々に文章を読むことができている手応えを感じ、読む楽しさが分かってきました。
 テレビ番組で取り上げられた昔の名作を書籍で読み返してみると、以前読んだときには気づかなかった点を発見することもあります。折しも秋の夜長。昔読んだ本も読み返し、新たな気づきを得たいと思っています。”(10月19日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・53)の投稿文です。インターネットの利用などで長文を読む機会が減り、その結果読んでも理解ができなくなった。それを補う為に読書ノートを作った。映画やテレビドラマを見た時原作も読むようにした。なかなか大変であるが補う一方法であろう。気になった文をメモする、ボクもしたことがあるが長続きしなかった。若い時は読書感想文を書いていたが、いつの間にか面倒になりこれも止めてしまった。ただ自分のために文を書くと言うことはなかなか大変なものである。この「話・話」は掲載するという目的がある。2ヶ月の一度作文を書いているが、これは会に投稿し皆に読んでもらっている。その文はホームページにも掲載している。やはり目的があるもの、縛られるものがあると続きやすい。加藤さんには頑張ってもらいたい。この年代はまだ根気がある。




2016/11/08(Tue) (第2353話) 失恋の秋寺さん MAIL 

 “息子が失恋したらしい。相手は半年ほど前、家に連れてきたことがある感じのいい女性だった。恒司さん夫婦は息子の結婚に期待していた。(中略)
 恒司さんは「何も聞くなよ。放っといてやれ」と、おしゃべりの妻に注意した。夫婦は同じ十月生まれなので、誕生日も土曜の夜、二人いっしょに祝う。今年も、息子は両親に一万円入りの封筒を渡し、ケーキを買ってきてくれた。出前のにぎりずしと、妻の手料理にテーブルに並んだ。「おめでとう」と乾杯した後、突然、息子が明るい声で言った。
 「あのさあ、振られちゃったんだおれ。結婚しようって決めてたから、ショックだった。向こうも同じ気持ちだとばかり思ってたんだけど、おれ以外に付き合ってる男がいたらしい。女は強いなあ」恒司さんは「そうか。ま、いろいろあるからな」とあっさり応じる。妻も「あせらなくていいのよ」と笑いながら言った。
 若い時に、恒司さんも何度か失恋している。苦い恋の恵い出を重ねた末、妻と出会ったのだ。「好きな人は見つかるもんだよ。恋はしないよりした方がいい」父親らしく温かい目で恒司さんは息子を見つめた。”(10月19日付け中日新聞)

 西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からです。男は失恋をしなければいけない、これはボクの主張でもある。男が失恋を恐れていてどうするのだ。女に失恋を味合わせたいのか。どちらも失恋を恐れていては話が進まない。男が積極的にならなくてどうするのだ。失恋をかっこうわるいと思っていないか、これが縁遠くしている現代ではあるまいか。最近の晩婚化や未婚者が多いのはこのせいではないかと、ボクは思っている。機会がないと言うことはない。昔よりはるかに多いだろう。その気があるかないかの問題である。
 ボクは若い時何回も失恋した。男泣きしたこともある。そして妻に出合い、困難?を乗り越えて結婚した。失恋の経験があったから、困難も乗り越えられたと思っている。
 恒司さんはいい家族関係にある。両親の誕生日に1万円を渡すような人である。両親もそんな息子さんを優しく見守っている。大いに失恋をして最後に得恋をすればいい。




2016/11/06(Sun) (第2352話) 真の感動寺さん MAIL 

 “八月に友人と瀬戸内海の島々を旅した。古き良き時代の姿が今なお残る港町を歩き、しまなみ海道をサイクリングし、非常に充実した五日間だった。写真が趣味の私にとって、愛用の一眼レフカメラは旅の必需品だ。少しでもいい写真を撮るとの意気込みだけでなく、飛び込んでくる題材の風光明媚な瀬戸内海もあって、盛んにシャッターを切った。
 旅を終え、写真を整理するのも楽しみの一つ。だが今回、私は後悔した。物事を記録する技術ばかりに頼り、直接自分で目にして味わった感動を記憶することをおろそかにしてしまったからだ。写真に残すと、後でいつでも見られるという気持ちから、その場での感動が薄れてしまいがちである。
 カメラを持たず、自らの目と体で真の感動を存分に味わう。後で振り返るよりも、旅をしているときの時間を大切にする。そんな旅はいかがだろうか。”(10月18日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の大学生・鈴木さん(男・21)の投稿文です。写真に撮って終わり、目でじっくり見ない、よく見る光景である。行ってきた言う事実のみを残すだけではもったいない。アリバイ証明でもあるまい。現地を目で見て感じての旅である。写真で見るのなら写真家の写真集を見るだけでもいい。鈴木さんはこのことに気づかれた。ボクもどこへ行ってもたくさん写真を撮ってくる。ボクも陥りがちな罠である。眼鏡をかけカメラをぶら下げていたら日本人と思えと言われた時もある。写真もいいが、程々であろう。
 先日ボクは北海道へ3泊のツアー旅行に参加した。紅葉に少し遅いかと思ったが、十分に満足できた。写真もたくさん撮ったが、この投稿文を意識した。できるだけ目で直接見て肌で感じる感動を味わった。




2016/11/04(Fri) (第2351話) 生きてていいんだ寺さん MAIL 

 “私が精神の病気になったのは16歳の時です。病院に入院し、対人関係に苦しみ、社会から取り残されたような気がしました。やっと退院しても、自分ほど不幸な人はいないと本気で思いました。
 でも最近になって、世界中の人がなにかしら苦しみや悲しみを抱えていると悟り、自分が恥ずかしくなりました。幸せな人と不幸な人は別の人だと思っていたのが、実は同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってあるのだと、気付きました。
 まわりの世界のことを知らなかったのが、病院や施設でいろんな人がいることを知るなかで、だんだんそれがわかるようになりました。そして、自分はここにいていいんだ、生きていていいんだと気付いた時、重い荷物のようなものをやっとおろせました。
 自分が不幸と思うのは「今」だから。10年後には忘れているかもしれない。幸せな人をうらやむのはその人の影の部分を知らないから。私は30年近くかけて、長い長い闇から少しだけ抜け出せたような気がしています。”(10月16日付け朝日新聞)

 東京都の清掃業・曽根さん(45)の投稿文です。人の一生は山あり谷ありである。山ばかりと言うことはない。谷ばかりと思っている人もそうではない。山はあるはずだ。そして、一生をならしてみると意外に違わないのである・・・というのがボクの感想である。 そして、曽根さんが気づかれたように「同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってある」と言うのも事実である。山の日々の中にも心配なことはある。ボクは職場で順調にみえる人も家庭では問題を抱えている人を何人も見てきた。すべてが順調にみえる人も本人は意外にそうは思っていない。何かに不満の種を探しているのである。こうなると心の持ち方、捉え方の問題である。感謝の心を忘れているのである。曽根さんも重い荷物が降りたと思われるまで、状況はあまり変わっていないのである。ただいろいろ知り気の持ちようが変わっただけである。いろいろな人を知り、いろいろな本を読み、前向きに受け取りたい。




2016/11/02(Wed) (第2350話) トウガン寺さん MAIL 

 “サザンカの垣根に大きなトウガンが三つ、ぶら下がっている。庭の片隅の小さな畑から芽を出して、垣根伝いに7〜8mも茎を伸ばし、大きな実をつけたのだ。種をまいたわけではないのに、畑に埋めた生ごみのトウガンからはえてきた。私はこの夏、暑い暑いとだらだら過ごしていたが、トウガンは自分一人で生まれて、肥料もあげないのにぐんぐんと育ち、もうすぐおいしくなるよと、このところの秋風に揺れている。
 強い雨や風の時は落ちないかなと心配したが、しっかりと垣根に巻き付いていた。このトウガンの強さに感激したら、背筋が伸びてしゃきっと元気になった気がする。
 トウガンは夏の野菜なのに冬瓜と書くのは、長く保存できるからと新聞にあった。トウガン料理は母がよく作ってくれた。シイタケとかつお節でだしを取って、しょうゆ味で水溶き片栗粉を加えた汁物。鶏肉を入れて、甘辛く煮付けたのもおいしい。
 夏の終わりとともに、トウガンは白く粉を吹いたようになってきた。そばのキンモクセイの木には、夏の忘れ物のセミの抜け殼がいくつもついている。庭の真っ赤なケイトウの花も、トウガン頑張れと応援しているみたい。淡泊なトウガンの味が楽しみだ。”(10月6日付け中日新聞)

 愛知県大府市の主婦・舘本さん(74)の投稿文です。ボクの家にも毎年トウガンができる。舘本さんと同じように種を蒔いたわけでもなく、苗を買ってきた訳でもない。自然生えである。前年の種がその場所に残り、生えてくるのである。もうこれで何十年と作り、食べている。全く強い野菜である。そして舘本さんが言われるようにトウガンは長持ちする。いろいろな野菜がある時にはその野菜を食べる。その野菜が少なくなってくるとトウガンの出番である。秋ナスもなくなった今は毎日のように食べている。野菜なら何でもいいボクだが、トウガンはまたいい。料理の仕方を妻に聞いてみると、舘本さんのお母さんとほぼ同じようである。淡泊であるが、減量中のボクにはもってこいである。
 この文の中で驚いたのが、垣根にぶら下がっていると言うことである。あんなに大きくなるトウガンがぶら下がるのか。そんなに茎も強いのか。トウガンはともかく大きくなる。大きすぎてもらってもらうのも大変である。妻は苦労している。多分もらった人も切り分けて近所の人に配っていることであろう。何とも楽しいトウガンである。




2016/10/31(Mon) (第2349話) 作文に映そう寺さん MAIL 

 “九月十三日付本欄「作文 生活見直す機会に」に共感を覚えた。日々の生活には大小さまざまな変化があり、その一つ一つの変化に、成長の鍵がある。成長の手だてとして作文に勝るものはないと私も思う。
 「人のふり見て、わがふり直せ」と言われるが、「人のふり見て」ではわがふり直すのに手間がかかり、後手に回ることも少なくない。
 人の言行を見抜く見識を身につけるためには、まずは「わがふり見て、わがふり直す」ことが必要。見えないわがふりをじっくり映し出すのに有効な手だてが作文ではないだろうか。わが心を作文に映して心構えを整える。文を作ることは、自分自身を作る「分を作る」につながるにちがいない。”(10月6日付け中日新聞)

 岐阜市の団体職員・小野さん(男・53)の投稿文です。「わがふり見て、わがふり直す」とはまた面白い造語だ。それには文を書くことだと言われる。否定するものではない。我が身を直すにはいろいろな方法があろう。人にふりを見てただ批判するだけではなく、それを我が身の戒めとする、これが諺の言うところである。でも、こんな機会は少ないものである。我が身には毎日のように反省することがある。冷静になって日記を書くと反省することがいかに多いか。書きながら冷静にもなるが、興奮したままで書くと反省は少ない。冷静になった時、それには朝がいい。ボクはもう何十年と日記を書いているが、朝である。一晩寝ると冷静になっている。それと、朝書くもう一つの効用はほとんど毎日書けると言うことである。夜は状態が様々である。遅くまで仕事があったり、飲んで帰ったりと日記どころでない日も多い。前夜どのようであっても、朝にはほとんどの場合収まっているのである。そして日記ばかりでなく、文を書くことはいろいろなメリットがある。ボクにはこの「話・話」も大きな効用があると思っている。




2016/10/26(Wed) (第2348話) 家事させよ寺さん MAIL 

 “入院とは無縁で、人生の最後にするものと勝手に思っていた私ですが、まさかの入院をしてしまいました。一週間、絶食し、点滴を受けました。入院中、同室の女性が隣のベッドのおばあさんにアドバイスしている声が力ーテン越しに聞こえました。毎日、仕事帰りに寄る息子さんとの会話は心地良く聞こえ、ステキな女性だなあと思っていました。話をする機会があり、なんと私と同年齢。しかも彼女は看護師ということが分かって、合点しました。ご自身も大変な手術をしたのに、前向きで冶ったら仕事もしたいと意欲的な様子でした。
 今まで、人の世話ばかりする方がどんなにか気が楽で幸せなことと思ってきました。「かわいい子には旅をさせよ」ということわざもあります。炊飯だけで右往左往する夫を見るにつけ「愛する夫にも家事をさせよ」と思いました。そして私も、いざというときに備えて、入院グッズを用意しておかなければならないと痛感しています。”(10月5日付け中日新聞

 愛知県豊橋市の主婦・清水さん(63)の投稿文です。入院というものは、予想がつく場合もあるが、突然やって来ることも多い。突然やって来ると大慌てである。物も心の準備もない。これは、今まで余り病院に縁のない丈夫な人に多い。そんな人も高齢になれば準備をしておくことが賢明であろう。60年、70年使えばいくら丈夫でも痛んで当たり前である。入院となる前にいろいろ対応したいが、生身の体である。思うように行かなくて当然である。
 ボクは今年手術をした。妻は結婚して以来、出産以外大きな手術も入院もない。腰とか膝とか、よく痛い痛いと言っているが、今のところ大事にはなっていない。でも、いつなるかも知れない。ボクはいろいろな家事をしているが、料理や洗濯などはゼロである。「愛する夫にも家事をさせよ」といわれるが、この家事とは料理や洗濯のことであろう。ボクに全く耳痛いことである。覚悟せねばならないだろうか。




2016/10/24(Mon) (第2347話) 選手がくれた勇気寺さん MAIL 

 “リオデジャネイロ・パラリンピックが閉幕した。まだ、パラリンピック選手が繰り広げた熱戦の記憶がまざまざと浮かんでくる。勇気とエネルギーをもらい、心打たれる日々であった。なぜそこまでやるのか、やれるのか。
 私は3歳の時にかかったポリオの後遺症で足に障害がある。若い時、それでも水泳、スキー、ソフトボール、卓球などに挑戦し、地区の競技会に出たこともある。いずれも参加賞止まり。それ以上を望んでも、自分の体では無理だと思っていた。当時のことを「もう少し頑張れたのではないか」と省みる。
 パラリンピックに出るために、選手たちはどれほどの努力と練習を積んできたのか、私には計り知れない。障害があるからできないーと考える人もいる。だが、そんなことはない。人はあらゆる部位を使って、自分の意志で目的を達成することができる。そのことを、パラリンピック選手から改めて教えてもらった気がする。私はパラリンピック選手からもらった勇気とエネルギーで、日々へこたれずに、これからも暮らしていこうと思っている。”(10月2日付け朝日新聞)

 川崎市の辻田さん(男・75)の投稿文です。ボクも今年はオリンピック、パラリンピックでたくさん楽しませてもらった。特にパラリンピックではその努力や裏話を聞くと感嘆してしまう。障害者は体の一部の機能が少し足りないだけのことである。一部の足りない人など世の中いっぱいである。犯罪者もモラル不足も一部が足りないのだ。障害者は無用と今年殺人事件があったが、この人の方がよほど足りないのではないか。
 いろいろ感動をもらったが、少し違和感もある。余りに国威掲揚、勝ち負けにこだわりすぎではないか。オリンピックは「参加することに意義がある」はどこへ行ってしまったのか。金メダルしか意味がない、と言う選手もある。スポーツである、勝つ時もあれば負ける時もある。勝つ人があれば負ける人もある。そして、オリンピックとパラリンピックの落差である。パラリンピックとなるとメディアの扱いも小さくなる。国民の熱意も下がりがちである。ボクは開催順序を逆にしたらどうかと思う。パラリンピックを先に行う。当事者になってみるといろいろな問題があろうが、いろいろな考えがあってこのようになっているのか知れないが、素人考えではこのように思う。




2016/10/22(Sat) (第2346話) 秋ナス寺さん MAIL 

 “スズムシの音色も少々弱くなってきた気がする。季節の移り変わりを肌で感じながら、日々の生活を送っている。私は昔からの田舎暮らしで、四季がある生活をずっと楽しんできた。今、畑は夏野菜から秋、冬の野菜へ変わってきている。ただナスだけは実り続けていて「秋は特においしいから食べて」とても言っているかのように、つやつやの紫色が食卓に上るのを待っている。実は引き締まり、夏とはまた違う味わいだ。
 「昔から『秋ナスは嫁に食わすな』と言うよ」。かつて祖母がこう言っていたのを思い出して懐かしくなった。この慣用句の真意は、秋ナスはアクが強いため、おなかに良くないからとも聞く。
 暑い夏に別れを告げて、一日一日と秋が深まり、風も一段と爽やかになってきた。そんな日々、祖母の思い出とともに食卓に秋ナスが上る。”(9月28日付け中日新聞)

 岐阜県安八町の主婦・中名さん(76)の投稿文です。ボクはナスさえあれば何も要らない、と言うほどのナス好きである。事実今年はナスばかり食べていた。本当によく成った。最初5本の苗を買ってきた。ところが病にかかり枯れ始めた。ナスの時期にナスが採れない生活はない。そこでまた5本買ってきた。ところが10本とも成長してしまったのだ。2人では食べても食べても食べきれない。妻は薄く切って干し、保存食とした。急に寒くなり枯れ始めたが、まだ成るかも知れない。最後まで食べ尽くそう。
 「秋茄子は嫁に食わすな」の諺の意味を調べてみると『おいしい秋のなすは、もったいないから嫁には食べさせるなという姑の嫁いびりの言葉。また、反対に、なすは体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから、嫁には食べさせるなという嫁を大切に思う言葉。』とある。どちらが本当であろうか。本当に茄子はおいしい。後者の意味は言い訳の気がする。どんな料理でもいいが、中でも茹で上げてショウガ醤油で食べる。妻はいろいろな食べ方をしてくれるが、これが一番簡単で一番の食べ方である。ナスは妻孝行でもある。




2016/10/20(Thu) (第2345話) 年いってからの夫婦寺さん MAIL 

 “「この世で起きたことは、この世で解決できる」「一人口は養えないが、二人口は養える」「年いってからの夫婦」これは母の口癖です。今年の異常ともいえる夏の暑さを、なんとか父と元気に乗り越え、八十八歳の誕生日を迎えました。昨年両親そろって元気に米寿祝いをできたことが本当にありがたいと「子孝行」の両親に感謝しています。
 たまに電話で「元気でうれしいよ」と言うと「息してるだけでもえらいよ(つらいよ)」と答える母ですが、今の世の中や政治の話になると、がぜん論調は鋭くなり、辛口評論家そこのけの弁舌です。それを聞いていると、さすが昭和一桁生まれは違うと、感心してしまいます。
 一昨年、私は甲状腺腫瘍で両親に内緒で入院手術しましたが、ひょんなことから知られてしまい、両親は大変ショックを受けた様子でした。今でも私が不在で電話に出ないと「また内緒で入院したんじゃないかと思って」と、携帯にまでかけてきます。私もあの時は「親より先に死ぬような親不孝者にはなりたくない」と思ったものでした。
 今年も両親そろって敬老の日を迎えられ、感謝しています。「年いってからの夫婦」という言葉を、私もそろそろ実感する年になりつつあります。”(10月2日付け中日新聞)

 浜松市のパート・荒川さん(女・62)の投稿文です。「一人口は養えないが、二人口は養える」「年いってからの夫婦」、忘れていた諺である。おおよその意味は見当がつくが、確認のためボクの持っている諺事典で調べてもインターネットで調べてなかなか出てこない。特に「年いってからの夫婦」は見つからなかった。それだけ使われることがないのだ。年いった人の知恵は凄いと思う。
 私なりに解釈すると「一人口は養えないが、二人口は養える」は、結婚した方が,独身でいるよりも経済的である。1人で生活すると無駄が多いが、2人だと経済的に過ごせると言う意味であろう。「年いってからの夫婦」は、夫婦の価値や味が出るのは年取ってからである。年取ってから相手が必要になる。だから簡単に離婚するなと言うことにもなる。本当に現代人はこの言葉を忘れている。そうすれば結婚する人も多くなり、離婚する人も少なくなる。
 「子孝行」か、これはボクも忘れないようにしなければ。夫婦揃っていつまでも元気に過ごす、子に心配をかけない。これは「子孝行」と言わなくても自分自身のためである。ボクも70歳を過ぎいよいよ本番だ。しかし「親孝行」という言葉は忘れられていないか?




2016/10/18(Tue) (第2344話) 動物らしく寺さん MAIL 

 “「動くこと」が私のリフレッシュ術です。人間も動物なのですから本来動くものです。現代人は確かに動いてはいますが、車や電車などに頼ることが多いです。そこで自分の足で動くことが大切と思い、私は歩いたり、走ったりして体を動かすように心掛けて生活し、歩数計で毎日の記録をつけて励みにしています。
 動くと良いことがあります。体重も体脂肪も減り、体の不調は消えました。歯科医院以外には十年近く縁がありません。ストレスらしきものも消え、夜も安眠です。歩きながら思いついた日常のことをメモしておき、後で役立てることもあります。自分自身に向き合い、自分の考えをまとめることができます。何より、お金をかけないでリフレッシュできることも気に入っています。動くことは良いことずくめです。この先、何年生きられるか分かりません。もっともっと動物らしく生活したいと思っています。”(10月2日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の団体職員・日比野さん(男・63)の投稿文です。これも「リフレッシュ」という課題からの意見です。動物らしく動く、人間を動物というと抵抗感を感じる方もあろうがボクは賛同します。人間と動物は違う、確かに違うことが沢山あります。いい点が沢山あります、数え上げたら切りがありません。でも、人間も動物だ、生き物だと言うことを忘れすぎていないでしょうか。器具などに頼りすぎ、その結果、体力が維持できなくなっている人も多いのではないか。日比野さんが言われるように「人間も動物なのですから本来動くもの」です。動いて体力を維持し、病気なども防いでいるのです。人間は怠け者です。楽をし始めたら切りがありません。世の中のこと、ほとんどのことは程々がいいのです。現代人はもう少し動物としての認識も必要だという気がします。
 ウォーキングの効用について知らない人はいないでしょう。知って必要性を感じてもできない、こんな人も多いと思います。きっかけを求めて下さい。どこかにあるはずです。




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