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伝えたい話・残したい話

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2017/01/11(Wed) (第2383話) 病室で合唱寺さん MAIL 

 “小学生のころから六十年余、私を頼ってくれた友人の通夜が秋にありました。会場入り口で友人の娘さんが走り寄り、こう話してくれました。「父は最後まであなたにメールを送っていました。手も動かなくなった最後の二回は私が代わりに打ちました。ありがとうございました」と。
 彼はがんの告知をされてからも、私が歌うゴスペルを会場に聴きに来てくれました。運転ができなくなってからは奥さんが送迎し「心が癒やされ、元気になれる」と喜んでくれました。
 彼が緩和病棟に入り余命が少ないと話すと、すぐにゴスペルの仲聞たち数人が集まって彼の病室に見舞いに行き「アメージング・グレース」を合唱しました。彼は動かすのが不自由になった手で拍手し、喜んでくれました。最高のプレゼントができたと思います。私のできることは、心から訴えるよう、元気が出てくれるようにゴスペルを歌うことです。”(12月28日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の会社役員・杉田さん(女・69)の投稿文です。中日新聞の投稿欄「発言」では、年末28日から4日間「喜怒哀楽」と言うテーマでの掲載がありました。その中から毎回1文を紹介したいと思います。28日は「喜」です。
 余命幾ばくもない親しい人の前で歌を歌い喜んでもらう。人に喜んでもらうことを自分の喜びとする、これはもう至上の行き方である。杉田さんはプロの歌手ではなかろう。素人が歌って喜ぶのは分かるが、死を前にした人が素人の人の歌を喜んで聞けるのは特別の気がする。関係が大きくものを言っているのだろう。「私を頼ってくれた友人」とあるので、長年かかってそういう関係になられたと思う。この関係を作られたと言うことがまた素晴らしい。人との関係で最も大切なのはまず家族である。自分や家族のためなら何でもできるという人は多かろう。人は家族と他人を切り分ける。他人となると親しい人でもかなり遠い存在となる。杉田さんの話はその他人との話である。人柄がこうした関係を作ってきたのであろう。




2017/01/09(Mon) (第2382話) 身辺整理寺さん MAIL 

 “まだ早すぎると人には言われるが、元気な内にこそすべきだと、身辺整理を始めた。捨てられない性分の私が心にむち打つきっかけとなったのは、友人が涙目で語ってくれたおしゅうとめさんの遺品整理の話だ。友人は自宅でおしゅうとめさんをみとり、精いっぱいのことができたと思っていた。ところが、遺された品々を見て切なくなったという。自分のことは二の次の、つつましい暮らしぶりが浮かんできたようだ。
 その話を自分に置き換え、「遺すのは、子どもたちに『幸せな人生だったんだな』と思ってもらえるような物」と決めた。その視点で身の回りをチェックしてみると、捨てる決断は容易だ。半年ほどの作業で、身辺がずいぶんスッキリしてきた。これをキープしていきたいと思い、「誰かがステキと思って、引き継いで使ってくれそうな物だけ購入する」という基準を設けた。これは、衝動買いの抑止効果抜群だ。
 「とりあえず、とっておく」「なんとなく買ってみる」がなくなると、物理的にも心理的にも空間が広がる。そうして得たシンプルな暮らしで、心はとても軽やかだ。”(12月28日付け朝日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・藤井さん(63)の投稿文です。63歳でこの悟りと行動に唸ってしまう。残すものや買うものの基準も理解できる。こういう基準を持てば、判断はしやすいであろう。「シンプルな暮らしで、心はとても軽やかだ」と言われると、羨ましくも思う。しかしながら63歳はまだ早すぎると言われて当然と思う。まだ30年あるかも知れないのだ。しかしこの整理を死と結びつけるからそのように思うのである。生活習慣と捉えれば何の不思議でもない。理に適う基準である。
 身辺整理や終活とよく言われるが、死を身近に感じている人ならまだしも、その気配の無い人には難しいことである。置く場所のない人ならまだしも、ボクのようにいくつも空き部屋のある人には全く難しい。又もったいないで育った人には至難のことである。あったはずだと探すが、処分したと知って残念がることを度々経験すると、もう処分できない。これが今のボクである。妻が時々処分を促すが、死んだらまとめて処分してくれたらいいと、うそぶいている。しかし、生活空間の整理整頓は大切である。これは日常から怠ってはならない。わが家の日常の整理整頓はかなりできている方だと思っている。




2017/01/07(Sat) (第2381話) 家計簿寺さん MAIL 

 “新しい家計簿を用意する時季になった。私にとっては五十七冊目。付け始めた時からずっと、婦人雑誌の付録の家計簿を使ってきて、今も愛用している。日記を兼ねているから、ここにはわが家の歴史のすべてが詰まっている。夫との昔話で食い違いがあると、私がすぐ「ちょっと待って、家計簿を持ってくるから」と言うので、夫は「分かった分かった」と降参するのだ。
 日記欄に書き切れないときは、別の紙を貼り付け書く。買い物をしない日でも、何も書かないという日はほとんどない。うれしいこと、悲しいこと、読み返すのもつらいような記録もあって、思い出はいっぱい。赤字の時も、黒字の時もちろんあった。内容が良くても悪くても、家計簿はいいもんだ。大好き。
 三日坊主の人が多いこともよく聞くし、最近ではパソコンで家計簿を付ける人も多いらしい。私は、至ってアナログ人間なので、そろばんとボールペンが落ち着く。家計簿は、しっかり付けていた母親譲りなので、妹も書き続けている。これまでの家計簿の処分に悩む年の暮れ。喜ばしいことをたくさん記せますようにと祈りつつ、やはり来年も書き続けようと思う。”(12月19日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・太田さん(78)の投稿文です。これはわが家の妻も結婚以来書いています。だからもう47冊が終わりになるでしょう。わが家は「明るい暮らしの家計簿」と言うもので、ズッとそれを使っています。毎日少しの余白があり、そこにメモ程度に書いています。ボクも毎日日記を書いているのですが、いつだったのかなどを知りたいときには家計簿の方が簡単に分かることがよくあります。そして妻は、そろばんと万年筆です。太田さんも多分結婚以来でしょう。10冊の差がありますね。妻には追いつけるように頑張って欲しいものです。もういろいろ処分の話がありますが、日記や家計簿など何冊あってもそれ程の場所を取るものではありません。あまり見ることはありませんが、これを処分したら過去を消し去ったような気分になるでしょう。生きている間は書き続け、取っておく。死んだらそのまま処分してもらえばいいのです。来年も書き続けましょう。大きなボケ防止です。




2017/01/05(Thu) (第2380話) 仕送りはがき寺さん MAIL 

 “ 今月も、20歳の息子からはがきが来る頃だ。息子は京都で大学生活を送る。我が家には子ども部屋がなく、息子は高校3年と浪人時代の2年間、同じマンションに住む「バコちゃん」のお宅で、ほぼ毎日、勉強させてもらった。バコちゃんは88歳の女性で、一人暮らし。血のつながりはなく、このご時世にご近所というよしみだけで、息子が小さい頃からかわいがってもらった。
 おかげで息子は志望校に合格。恩人であるバコちゃんにお礼をせねばバチがあたる。そこで息子が下宿する際、「バコちゃんにはがきを書くこと。そうすれば仕送りをする。ついでに富山の両方の祖父母にも書く。そして入金後に父親にお礼を書く」と条件を出した。
 それ以来、息子は毎月、近況を書いたはがきを送ってくる。皆、はがきの到着を「もうそろそろだ」と心待ちにし、何度も読み返して頂いているよう。息子には小学生レベルの文章力を向上させる訓練にもなる。夫は、面と向かって言ってもらえない感謝の言葉を聞ける。
 恩人・祖父母・息子・私たち夫婦、すべてに良し! の仕送りはがき。息子の動向を把握できて、私もにんまりだ。”(12月17日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・武隈さん(49)の投稿文です。仕送りをしている間、その度に手紙で近況を知らせる手紙を送らせる。これはまた有利さを活用した賢い知恵ですね。子供は手元を離れてしまえば、親の心配などどこ吹く風ともう疎遠になってしまう。子供は自分で育った気分になり、そしてしてもらことに慣れてそれも当たり前になる。また一度お礼を言えばいいと思ってしまう。これは何も子供に限ったことではありませんが。仕送りをネタに手紙の義務づけさせるとはいい知恵です。親の安心もありますが、本当は子供の為です。文章を書く力や習慣もできますが、自分を振り返る機会にもなります。感謝の心も育ちます。これも親心なのです。本当にすべて良し、竹隈さんはにんまりでしょう。
 ボクも先日、あることがあって墓参りを娘家族に約束させました。これも後悔させないように娘達を思ってです。本当は自分達が行くときに娘達も行く習慣をつければよかったのですが、怠りました。それに気づいて、いいチャンスと約束させたのです。先祖があって親があって自分があるのです。キチンとやってくれるでしょうか。




2017/01/03(Tue) (第2379話) 大事な人寺さん MAIL 

 “仕事から帰った夫が「知人の女性にプレゼントせなあかんから買ってきたよ」と可愛い小さな紙袋をひょいとテーブルに置いた。変なことを言うなぁ。中身を取り出すと、きれいな紙に包まれた小箱に金色のリボンがかけてある。
 聞いてもないのに夫は「その人にはいつも世話かけてるんや。大事な人でね」。それなら、私に内緒で渡せばいいのに。「あのー、中を開けてみ。気に入るかどうかわからんけど」と夫。「大事な人に買ったんやろ?」と聞き返すと、「お前が俺の大事な人とちがうんか!」。
 え、びっくり。恥ずかしいやら、回りくどい冗談を真に受ける自分に腹が立つやら。照れ屋の夫にいつもこんな調子でだまされる。催促されて箱を開けると、革製のみかん色の財布が入っていた。実は気に入った。でもあまのじゃくの私はまたやってしまった。「何で買うたん? 財布はいっぱい持ってるよ」。受け流している夫は、お店で可愛い財布を見かけ、買ってきてくれたとのこと。
 「ありがとう」。自分の少ないおこづかいからプレゼントしてくれたのに、ごめんね。可愛い女になりたいわ。”(12月16日付け朝日新聞)

 和歌山県那智勝浦町の主婦・向井さん(63)の投稿文です。喜ばれることをしながら、それを素直に表せない。特に家族間でこれができない。もう何度も話題にしています。この習慣ができている夫婦や家族には全く不思議なことでしょう。わが家もできていない家族です。と言ってもできていないのはボクだけかも知れません。ですから何度も取り上げています。妻に贈り物などしたことがありませんから。
 向井さんのご主人は、何の機会にされたのでしょうか。そして回りくどい言い方をしながらも「大事な人」と告白しています。受け取った向井さんも素直に受けて取っていません。お互い慣れていないから、こんなおかしな話になるのでしょう。向井さんがこのまま終わったら「もう2度と買ってきてやるものか」となるのでしょうが、これだけ公に感謝の気持ちを表明されたら、ご主人はまた買って来ざるを得ません。夫婦はますます円満になります。投稿された向井さんにも敬意を表明します。




2017/01/01(Sun) (第2378話) 親切のバトンタッチ寺さん MAIL 

 “愛知大に勤める梅村清春さん(六二)からの便り。通勤途中、名古屋駅地下街を歩いていたら、後ろの方から「お姉さーん、お姉さーん!」という高齢の女性の声が聞こえた。「どうしたのかな」と思って振り返ると、すぐ近くを歩いていた青年が「おばあさん、どうしたんですか」と近寄り、声を掛けた。息せき切って「前を行く若い娘さんのかばんから、この財布が落ちたんですよ。慌てて拾って追い掛けたんだけど、娘さんの足が速くて・・・」と言う。
 青年は「わかりました。僕がバトンタッチしましょう。任せてください」と言い、パッと財布を受け取り、顔を上げた。その瞬間、梅村さんはハッとした。青年に見覚えがあったからだ。教え子で今年入学したばかりのT君だ。向こうも、こちらに気付いたらしく「あっ、先生」と言い、お辞儀をしかけた。「あいさつはいいから、早く追い掛けて。頼んだよ」と言うと、T君は全速力で雑踏の中を駆けて行った。(後略)”(12月11日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。さて、その後どうなったのでしょうか。無事手渡しでき、喜んで頂けたと言うことです。しなければならないこと、できること、しかし、とっさの時にはなかなかできないものです。この場面はまさにそういった場面です。それも沢山の人がいる中です。まずは落とし物を見てもそのまま通り過ぎる人がほとんどでしょう。でも拾って係わり合いになれば、時間を取られます。人によっては会社に遅れます。高齢女性はそれをいとわれませんでした。そして混雑の中で大声を出すことです。人中でなかなか大声はでません。これもとっさながら大声がでました。聞いた青年がそれに答えた。雑踏の中をそれらしき人を探して追いかける。無事渡る。落とし物を渡すだけのことですからたいしたことでは無いかも知れませんが、それでもこれだけの幸運が必要です。良い人から良い人へバトンタッチされた結果です。
 落とし物でもゴミでも拾わなければ歩く人の邪魔になります。ボクは通り過ぎてしまって悔やむことがよくあります。とっさの行動が出なかったのです。気持ちの準備ができていないのです。常日頃の心がけの問題です。悔やむくらいなら行動に移すべきです。心がけたいと思います。




2016/12/30(Fri) (第2377話) 母しのび遺稿集寺さん MAIL 

 “一人暮らしの父を支援するため津市から転居して一年半、父の卒寿を祝うとともに母をしのぶ会を家族で開いた。
 七年前、私は肝臓がんを患い、心身共に生きづらい日々を送っていた。療養中に母も大腸がんで余命一年と告げられ、父や大阪に住む妹たちと手を取り合って在宅ケアを続けた。母が大好きな「川の流れのように」を二人で歌ったのが最後となったのを昨日のことのように思い出す。
 遺品から俳句や詩、評論や小説など、たどたどしくはあるがしっかりとした筆致でつづられた日記帳が出てきた。家にいることが多かった母が、こうして内的世界での創作を楽しんでいたことに驚かされた。「我病みて子の気遣い身に染みて」との句には、思わず目頭が熱くなった。
 せめてもの親孝行にと母の遺稿集を編さんした。厳しい中にも優しかった母を思いつつ、父の健康を祈る家族の集いとなった。”(12月10日付け中日新聞)

 三重県名張市の竹沢さん(男・67)の投稿文です。書き残すと言うことはどんな発展に繋がるのか分からないものだと、この投稿を読んで思います。お母さんはこんなことになるとは夢にも思われなかったでしょう。これは残された人のお母さんに対する思いです。お母さんに対する思いをこのような形にできて、よかったのは残された竹沢さん達ではないでしょうか。親は亡くなってその有り難さが分かり、懐かしさが生じます。気がついたときにはもう遅いのです。竹沢さん達はこのようなことができて、お母さんに対する感謝の気持ちを現すことができ、すっきりした気分になられたのではないでしょうか。
 この投稿を読んだ方の感想は様々でしょう。ボクはこのように思いました。ボクの両親も亡くなってもう長い時間がたちましたが、親のことを本当に何も知らないことに驚き、がっかりします。親は自分のことなど子供の前では語りません。返って他人に話す機会は意外にあるものです。ボクも父が亡くなって、他人から父の話をいろいろ聞くことがありました。もっと聞いておくべきだったと残念に思うことが度々です。親のことは子供が聞き出すことです。と言ってもそれに気づいたときはもう遅いことがほとんどです。人間はこんなことの繰り返しですが、もう少し賢くなれないものかと思います。
 これが平成28年最後の「話・話」です。今年は169話を掲載したことになりました。ご愛読の程ありがとうございました。




2016/12/28(Wed) (第2376話) 私が「伊達直人」です寺さん MAIL 

 “全国各地の児童養護施設に漫画タイガーマスクの主人公「伊達直人」名で相次いでランドセルが届いた現象の発端となったとされる男性が七日、東京・後楽園ホールで行われたプロレスイベントでリングに上がり、名乗り出た上で、子どもたちへの支援を呼び掛けた。
 氏名を明かしたのは前橋市在住の会社員河村正剛さん(43)。リング上で「子どもたちは虐待されるためではなく、抱きしめられるために生まれてきた。これからも活動を続けていきたい」と言葉に力を込めると、観客席から盛大な拍手が起こった。
 河村さんによると、2010年12月に前橋市の養護施設に伊達直人名でランドセルをプレゼントした。その後、各地の施設などにランドセルなどが寄せられるようになり「タイガーマスク現象」と呼ばれた。
 河村さんは大分県生まれで、小学校の頃に家庭環境に恵まれずランドセルを持っていなかった。名乗り出た理由は「僕が表に出ることで社会的養護を再認識してもらい、支援の拡充につながってほしい」と述べた。(後略)”(12月8日付け中日新聞)

 記事からです。河村さんはランドセルを贈る奇特な気持ちも素晴らしいが、名乗り出る勇気もすごい人と思います。「タイガーマスク現象」と言われる元を作られた。同調された人も素晴らしい。この人達にはいろいろな思いや動機があったのでしょう。賞賛されたことは多かったでしょうが、ヒョッとして批判されたことはなかったでしょうか。言葉は何とでも言えます。ともかく喜ばれることを実行されたのです。行動に移すと言うことは大きな決意が要ります。そして、今回名乗り出られたと言うことは、贈ることよりも大きな勇気が要ります。匿名というのは、良いことも悪いこともしやすいものです。インターネットが盛んになって匿名ばやりです。匿名は無責任でもできます。素性を明かして言ったりすることは覚悟が要ります。無責任ではできません。ボクは名乗り出られたことによってより賞賛します。そして河村さんが望まれるように良い方向に進んでで行くことを願っています。




2016/12/26(Mon) (第2375話) 迎春準備寺さん MAIL 

 “秋に収穫した米の稲わらを使って、集落の氏神の鳥居や本殿にかけるしめ縄作りに参加した。集落の氏子や各種役員が集まり、若者は年配から手ほどきを受けていた。しめ縄にはもち米の稲わらがいい。長くて柔らかいから編んでいくのに都合がいいのだ。私たちの集落ではこのように和気あいあいと迎春準備できてよかったが、近年は神社の鳥居などで合成繊維の既製のしめ縄で済ますケースが目につく。
 もちを食べる機会が減って、もち米のわらの入手が難しくなってきたことや、高齢化でしめ縄を作る人手が少なくなったことによるのだろう。手間暇かかることを極力避けたいという風潮もあるかもしれない。盛んに喧伝される「地方創生」とはほど遠い気がする。”(12月8日付け中日新聞)

 滋賀県米原市の江竜さん(男・72)の投稿文です。地域に手間暇かけた行事は本当に少なくなっている。例えばボクの村には、薬師堂というものがあり、そこに立てる門松をその年の年行司が集まって作っていた。竹が手に入りにくくなったこともあって、ある年からできたものを購入するようになった。共同作業がひとつ減り、知識の伝達もなくなった。これを単に楽になったと喜んでいいのだろうか。
 滋賀県に知り合いがあり、その人の話などから滋賀県は昔の風習が多く残るところだとボクは思っていた。そしてこの江竜さんの話はそれを確認することになった。でも、江竜さんは心配されている。ここにも近年の流れは押し寄せているのである。やむを得ない面もあるが、人間は怠惰で自分本位の面が大きい。楽な方に流れ始めるとその勢いは早い。地方の人口はますます減り、高齢者の割合は増えるばかりである。この勢いはもう止まらないかもしれない。その結果、孤立無縁社会になっていくのであろうか。




2016/12/24(Sat) (第2374話) 喜寿の同窓会寺さん MAIL 

 “数え七十七歳の喜寿を祝う同窓会があった。同じように年を重ねた旧友らとの再会は、懐かしさにあふれていた。私には、もう一つ思いがけない出会いがあった。同窓生のYさんから「これK君のブログだけど、あなたの家のことだと思い、プリントしてきた」と紙片を渡された。その内容は、一気に七十数年前のあの時代をよみがえらせた。
 「当時、ある農家ヘー升瓶を抱えてヤギの乳を分けてもらいに行くのは、私の役目だった。子ども心にも恥ずかしかったが、それにも勝るのは、農家のおばさんが『ハイこれ』と必ずくれる食べ物だった。いつもひもじい思いをしていた引き揚げ者家族の私にとって、あのおばさんの優しい顔と、おいしいお駄賃は今でも忘れられない」
 まさしく、このおばさんとは、昨年百歳で他界した私の母だ。K少年と母のやりとりが目に浮かんだ。若き日の母にめぐり合えた思いがして、懐かしさに目が潤んだ。Kさんは母の死をお侮やみ欄で知り、深い感慨を覚えたとある。母をこんなに懐かしんでくださっていたのだと思うと、感謝で胸が熱くなる。この節目の日に、この奇遇をもたらしてくれたYさんに感謝し、しばし感慨に浸ったのである。”(12月6日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の北條さん(女・76)の投稿文です。北条さんの亡くなったお母さんのことを、Kさんがブログで語り、それを見たYさんがそれをプリントして北条さんに渡した。改めて北条さんはお母さんを懐かしく思い出した。いろいろなことがあるものである。これも感謝されるお母さんであったからであろう。
 世間に出たものは見られていないようでも結構見られているのである。ボクも先日「新聞に名前が出ていたな」と告げられた。全く小さな文字で、何かの拍子か、余程気を付けないと分からないような箇所である。でも告げられたのである。まだほかにも気がついた人があるであろう、軽々しく見てはいけないのだ。この「話・話」もそうであろう。カウンターがついているが、ほとんど増えていない。ほとんど増えていないと言っても増えているのである。誰かに見てもらっているのだ。ボクはボク自身のためにやっているので、あまり広めようとは思っていない。ただ折角書いたのだからと公開しているのである。見られていないようで見られている。そのことを忘れないようにしなければいけない。それが身を引き締め正すのである。




2016/12/22(Thu) (第2373話) 箸袋の「ありがとう」寺さん MAIL 

 “今年の六月、江南市立古知野北小学校の六年生が奈良・京都へ修学旅行に出掛けた時の話。校長の水谷政名さん(四八)は、出発前に子どもたちにこんなことを伝えた。「お世話になる人たちに、感謝の気持ちで臨みましょう」と。早速、初日からバスから降りる都度、運転手さんやガイドさんに「ありがとう」という子どもたちの声が聞こえてきた。
 さて、二日目の朝、水谷さんはホテルのスタッフに話し掛けられた。「昨夜、お子さんたちから心温まるメッセージをいただきました。それも何人もから」と。食事の後片付けをしていたら、メッセージが書かれた箸袋を見つけたという。その一つを見せてもらうと・・・。「とってもお料理おいしかったです。ありがとうございました。ごちそうさまでした」。スタッフみんなで回し読みし、元気をもらったとのこと。水谷さんは予想外のことに驚き、感激した。
 話はここで終わらない。しばらくして、朝食会場に入って来た大勢の子が、手にペンを持っているではないか。そして食事後、箸袋におのおのメッセージを書き始めた。昨晩、箸袋に「ありがとう」と書いている子がいるのを、近くの席の友達が見ていたらしい。その話が一晩のうちに「私も」「僕も」と連鎖したのだ。(後略)”(12月4日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。箸袋に感謝の言葉を書いて伝える、いろいろな知恵があるものだと感心する。これが小学6年生の行為である。素直である、機知がある。それが伝達して、多くの人がする。受け取った方は感激である。仕事の励みになる。いい話である。先生は後輩にこの話をするだろう。後輩もまた実行する。この学校の伝統になる。そうなって欲しいものだし、多分そうなるだろう。
 感謝することも大切だが、それを伝えることも大切である。伝えるには行動に移さねばならない。気持ちはあるのだが、照れがある、慣れていないなど、これがなかなかできない。日本人の特質だろうか。日本人のいい特質は沢山あるが、これは直さねばいけない。ボクも全く同類である。でもかなり直ってきている。特に妻に対しては。
 これだけ素直な小学生が、大きくなっていくに従ってこの素直さが欠けていくのである。この小学生は、ここでこれだけ賞賛されたのだから忘れる訳には行くまい。この小学生、小学校に期待したい。




2016/12/20(Tue) (第2372話) キリの木寺さん MAIL 

 “かつては女の子が生まれると、キリの木を植える習慣があったと聞きます。ものが豊富で、お金さえ出せば何でも手に入れることができるご時世に、それを地でいった友人がいます。
 孫が生まれ、キリを植えました。成長が早いキリは、枝打ちすることによって、節のない木に成長していくそうです。ところが、植えて十九年目の秋口に、強い台風に遭って倒れてしまったのです。根はまだついていたので、その道に詳しい職人さんに相談したところ、「もう切ってもいい年数がたっており、冬眠から覚めた春が切りごろ」と教えてくれ、翌年までそのままにしていたそうです。
 伐採して二年を費やして乾燥させ、たんす職人さんの手で加工されることになりました。二十数年の歳月が流れたということでしょうか。お孫さんが嫁ぐとき、ともに大きく育ったキリの木で仕上がったたんすを持たせてやりたいという思いがかなったのです。私が拝見させていただいたたんすは、素晴らしい出来栄えでした。
 私と一回り違い、十九歳で結婚した姉の嫁入り支度に、母がキリのたんすを苦労してあつらえたことを鮮明に覚えています。なぜか胸がいっぱいになりました。”(11月30日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・武田さん(73)の投稿文です。桐の木を植えて、それが成長したしたらその木で家具を作る。それを結婚祝いの贈り物にする。気の遠くなるような習慣ではあるが、現代人が忘れてしまったいろいろなことが含まれている。木を育てると言う生活、職人による注文製品、と言う何とも時間を要し、費用もかかる習慣である。お金さえ出せば何でも手に入る時代である。それもすぐにである。費用も安いであろう。とかく現代人は慌て者である。待てない。手をかけない。そんなに急いでどこへ行く。空いた時間はゲームでもするのであろうか。すべてとは言わないが、何かそんな風潮である。ボクも毒されてきている。お孫さんは必ず宝物にしてくれるだろう。
 ボクの家にもキリ箪笥はあった。母が結婚するときに持って来たのであろう。もちろん買ったものであろうが。当時はこれが大事な嫁入る道具であったろう。今はもうない。虫に食われ、家を改造したときに廃棄した。当然のように捨てたが、母はどんな気持ちで見ていたろうか。今思い出すと少し胸が痛む。




2016/12/18(Sun) (第2371話) 賢者の贈り物寺さん MAIL 

 “「何もお土産がないのだけれど」。1年ぶりに会った友人がそう言いながら大きな紙袋の中から取り出しだのは、たくさんの雑巾。彼女の85歳になるお母さんのお手製で、使い古しの白いタオルがミシンで縫ってある。お母さん自ら、「ボケ防止に」と作っている雑巾を、私にもおすそ分けしてくれたのである。雑巾の他に、バスタオルで作った足拭きマットもあった。
 雑巾をプレゼントされたのは初めてで、正直驚いたが、彼女の気取りのなさがほほ笑ましい。受け取った時に、ふんわりとしたやさしいぬくもりが手に伝わってきた。使ってみると、ぺらぺらの安売りの雑巾と違い、適度な厚みで吸水性抜群。手になじんで絞りやすタオルー枚丸ごと使うと分厚すぎて絞りにくいので、4分の3ほどに短くして三つ折りにするというのはお母さんの工夫だとか。
 縫い目もまっすぐ確かなもので、雑巾とはいえ手抜きせずに、使う人のことを考えて一枚一枚丁寧に作られているのがよく分かる。カタカタとミシンをかけているお母さんの姿が目に浮かび、日々使うほどに、愛着がわいてくる。師走を前に、心のこもった「賢者の贈り物」をいただいた。”(12月2日付け朝日新聞)

 福岡県久留米市の主婦・山本さん(60)の投稿文です。雑巾は古いタオルなどを使って家庭で作るもの、と思っていましたが、売っていることを知ってびっくりした記憶があります。学校などで「使い古したタオルではなく、新しいもので作って下さい」と言われたと聞いたときには、更にびっくりしました。何か間違っているとボクは思っています。妻は、自宅の使うものは使い古したタオルで作っている。それでも老人会などの寄付では、新しいタオルで作っている。
 贈り物は体裁ではない。実際に役立つものがいい。若い人ならまだいろいろあろうが、老いた家庭ではもう余分なものは要らない。でも雑巾などは贈りにくい。それを贈るとは、まさに賢者の贈り物であろう。85歳のお母さんの手作りともなれば、よりであろう。贈り物に手作りは最高である。何でもお金で手には入る時代であるだけによりそのように思う。
 ボケ防止はいろいろな手段がある。老いればしなければならないことは少なくなる。それを乗り越えてしなくてもいいことをするのである。頭も体も動かすことである。そのすることが人の役立つことであればよりし甲斐がある。そういうものであれば続くのである。
 ボクはおかしなことを始めてしまった。道路を通る人に楽しんでもらおうと思って案山子を立てた。時折服装替えをする。ボクのもくろみ通りにそれを楽しみにしている人がいると聞いた。さあ、頑張らねばならない。案山子作りには工夫が要るのである。またしなくてもいいことを始めてしまった。




2016/12/16(Fri) (第2370話) 当たるも八卦寺さん MAIL 

 “私が中学生のころだったか、占いに行ったらしい母が「お母さんの寿命は七十二歳だって」と言った。そんな年は知りたくなかったので、どうしてそんなことを聞いたのかと思いながらも、その数字はしっかり私の心に刻まれた。時々思い出し、まだまだ何年もあると安心していた。でも、その年齢が近づくにつれ、その話は怖くて口には出せなくなった。
 母は病気がちになり、大腸がんの手術までした。「本当にそうなってしまうのか」と不安でしょうがなかった。先に逝ってしまった父にも「まだ早いから」と何度も手を合わせた。しかし、ありがたいことに母は前より元気になり、七十五歳ごろにその話をしてみた。「そんなことあった?全然覚えてないわ」と笑われた。娘の心親知らずだった。
 今は八十二歳とは思えない元気さで、毎日のようにお友達と趣味にお稽古にと、遊び回っている幸せ者だ。先日また母が言った。「手相を見てもらったら、百三歳まで生きるって」。「よかったねー。頑張って健康でいてね」と心から思った。
 これで当分は心穏やかに過ごせるが、その時に私が元気な八十歳になっているかどうかを、占ってもらう勇気は私にはない。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の主婦・梅村さん(59)の投稿文です。ボクは運勢も占いも信じていない。血液型から見る性格診断も信じていない。でも言われたら気にするかも知れないので、近寄らないことにしている。何もお金を払って信じてもいないことに近寄ることはない。おみくじは昔引いた時に、凶だったことがある。若い時に印鑑屋さんが名前の画数で運勢を見てくれたことがあるが、どれを取ってもいつ死んでもおかしくないような結果であった。70歳過ぎまでピンシャンと生きている。あれ以来より信じなくなったかも知れない。
 梅村さんは、お母さんの寿命を72歳と言われて気にして過ごされた。しかし、82歳でも元気である。今度は103歳である。こんなことは良いことだけを信じればいい。おみくじも吉だけを信じ凶は「たかがおみくじなんだ」と信じなければいい。それができなければ近寄らないことである・・・と、ボクは思っている。




2016/12/14(Wed) (第2369話) 離婚届と交換寺さん MAIL 

 “秋晴れのさわやかな日差しを背に、役所の窓口で離婚届をくださいと頼みました。少し驚いた表情の女性が、丁寧に記入方法を教えてくれます。
 9月で81歳になる夫の運転免許更新をめぐって、春から大もめ状態でした。8月末には思いもよらず認知痙との診断も。本当? 否? 家族も驚きましたが、確かに車のライトを消し忘れたり、消す動作にも時間がかかったり。家族全員で返納するよう説得しましたが、夫は納得してくれず、かといって免許更新のための高齢者講習にもなかなか行こうとしません。
 家族のための我慢は私もずっとしてきたけれど、他人に迷惑をかける可能性がある車は絶対に譲れない!意を決した私は、持ち帰った離婚届の自分の欄に記入し、印まで押して夫に渡しました。「私も覚悟して書いた。他人になってから、車をどうぞ」。すると夫は、「そこまで言うならやめる」と免許証を手渡してくれました。
 ここまで何事もなく、無事にこられて良かったネ。これからは家族の言葉もしっかり聞いてほしいです。12月で結婚55年目。どんな最終章が始まるのか・・・。夫婦の晩秋です。”(11月24日付け朝日新聞)

 堺市の主婦・吉永さん(74)の投稿文です。夫の自動車運転を止めさせるために離婚届まで用意するとは、これはまた凄い話です。中日新聞の「300文字小説」を連想してしまいました。最近は高齢者の自動車事故のニュースが全く多いですね。それも加害者になる話です。起こす人には認知症の人もあるでしょう。吉永さんのご主人の場合、認知症の兆候が出ていたのですから、家族が心配になるのは最もです。本人は認知症の結果が出ても止めようとしなかった訳ですから、車の運転というのはそんなに止められないものでしょうか。車の事故は本人だけの問題ではありません。被害者家族だけではなく自分の家族にも大きな影響を与えます。事故を起こす前に止めたいものです。
 事故の中でアクセルとブレーキの踏み間違いが結構多い気がします。正反対の作用ですから事故は大きくなる訳です。アクセルとブレーキが隣り合わせにあり、どちらも右足一本で操作します。これが本当にいいのでしょうか。ボクでも足を全く床から離したとき、どこがアクセルかブレーキか一瞬迷うときがあります。目で確認する訳ではないので全く感覚頼りです。これだけ技術が発達しているのだから、何とかならないかと思います。運転手任せにほかっておける問題ではない気がしますが、こんな意見を聞いたことがありません。事故は起こさないつもりでも起こします。注意していれば起きない訳でもありません。考えると本当に恐ろしくなります。
 ボクの近くの道路で、妻が夜の散歩中に1年で4回も逆走する車を見たという。聞いたボクは先日関係者に伝えてきました。




2016/12/12(Mon) (第2368話) 考える時間 寺さん MAIL 

 “私は、この時代に生きられてうれしいです。あまり縛られることがなく選択肢がたくさんあり、やりたいことができる。人それぞれいろんな生き方ができるからです。好きなように思ったり考えたりする自由があるからとも思います。
 考えることはすごく大事です。一つの物事でも、それをどう捉えるかによって百八十度見方が変わるし、たくさん気づくことがあります。自分で発見すれば、誰かに言われたことや、本で知ったことより役に立ちます。
 私は一日の中で、考える時間をつくっています。誰かを変えることはとても難しいけれど、自分という存在は自由自在です。世の中は可能性であふれていて、それを狭めているとしたら、それは自分自身です。「こうなりたい」という考えは残し、「こうあるべきだ」という考えを外したら、もっと生きやすくなり、やりたいことが広がるかもしれません。私はこれからも考えることを大事にしていきたいです。”(11月23日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・薗部さん(女・21)の投稿文です。「私は、この時代に生きられてうれしいです」という言葉をこういう若い人から聞くと嬉しいですね。今の時代、若い人に大変な面もありますが、総合的には恵まれているでしょう。気持ちの問題は何と比較するかです。上には上があり下には下があります。ボクは終戦の年に貧しい農家に生まれました。食べる物には困らなかったと思いますが、実質はかなり貧しい生活だったでしょう。でもそれしか知らなかったので、それを苦痛と思った記憶はあまりありません。今は比較にならない豊かさでしょう。でも不満に思っている人は多いようです。そんな中、このように思える薗部さんは心豊かな人です。考えることは本当に大切です。「どう捉えるかによって百八十度見方が変わる」というのは事実です。いろいろなことを前向きに捉え考えれば、前途は洋々と開けましょう。




2016/12/10(Sat) (第2367話) 匿名の善意寺さん MAIL 

 “昨年のお彼岸のときのこと。墓参りの準備をした時、線香、ろうそく、経本などの一式がないのに気付きました。お盆の墓参りの際に置き忘れてしまったようです。あったとしても雨にぬれて使いものにならないだろうと思い、新しく一式を購入して墓に向かいました。着いたら、なんとお墓の脇にそのままの姿で雨風をしのぐよう、ビニールの袋に包んであったのです。びっくりしながらも、感動を覚えました。
 見つけた人が身内であれば、きっと連絡があるはずです。お墓参りをされた誰かの温かい善意に感謝の念を抱きました。袋の中にメモでも入っていないかと探しましたが見当たりません。夫婦で人の温かみに触れたと心から感謝しております。”(11月21日付け中日新聞)

 名古屋市の会社顧問・高田さん(男・72)の投稿文です。雨にさらされていると思った忘れ物が、ビニール袋に入れられてそのまま無事に残されていたとは、これはまた嬉しい話です。お盆のあとのお彼岸と言われるので、もう1ヶ月半もたっていたでしょう。見つけられた方は「あれマア・・」とびっくりし、持っていたビニール袋に入れておかれたのでしょう。小さな親切です。そして風に飛ばされることもなく、見つけられるまで無事に残された。よかった、よかったと聞く方も嬉しくなります。
 最近はお墓が取り壊れる話を聞くことが多くなりました。ここ十数年前からの話です。急に墓を守することが難しくなったのでしょうか。後を継ぐ人がいないなどいろいろな事情はあると思いますが、そんな事情は以前からあるはずです。墓を守しようとする気持ちと面倒だという気持ちのどちらを優先するかの問題ではないでしょうか。以前は何が何でも墓参りだけは行かなくては、行かないと親やご先祖さんに申し訳ない、と思う人が大半だった。それが1日がかりとなると面倒だと言うことになった。自分の生活が第一優先になった、と言うことではないでしょうか。
 ではボクの家はどうか。ボクの家の墓は近くにあり、盆正月、お彼岸には夫婦で毎年行っています。でも近くにいながら娘は誘っていませんでした。先日、年2回くらいは家族揃って墓参りをするように伝えました。先祖があって親があり、自分がある。それに感謝し、それが自分のためだと伝えました。さあ、どうなるでしょう。




2016/12/08(Thu) (第2366話) 狂俳寺さん MAIL 

 “「赤い糸」という題に対しては「一目惚れ電流走る」、「焚火」なら「凍てた手先が暖かい」。前者は上手な人の、後者は私の作品である。私のはうまいとは言えないけれど。今年初め、ふとしたことから狂俳というものに出合った。十二文字で作句する世界一短い文芸であり、庶民の素朴な文芸でもある。200年以上前に伊勢の俳人三浦樗良が岐阜の人に教えて始まったとされる。
 東海地方で盛んであったが、今では郡上八幡以南の美濃を中心とした狭い範囲にしか残っていない。会員にとっては研讃を積むと同時に、岐阜に古くから伝わる遺産を伝承していくという任務もある。
 最低限の決まりは、題に入っている字を使わないこと、動詞または形容詞で終わること。「なんだ、簡単だ」と初めは思ったが、だんだん奥の深さを知ることになった。説明文になってはつまらないので、遠すぎず近すぎず障子一枚向こうを詠む。そして気品、風流を心がける。風刺、滑稽、ユーモアも良い。軽妙洒脱を好む遊びの文芸なのである。素晴らしい句を作る先輩たちに早く追いつきたいと夢中になっている。”(11月23日付け朝日新聞)

 岐阜県各務原市の薬剤師・天野さん(女・76)の投稿文です。狂俳と言う言葉は知っていましたが、どんなものか知りませんでした。まして美濃中心と言うことは知りませんでした。そんな狂俳に天野さんはふとしたことから始められた。こういう出合いがいいのです。ボクはもう35年以上も川柳を続けているのも、初めはひょんなきっかけです。面白いものです。楽しいものです。そして、狂俳は最初の5文字があてがわれている他わずかの違いはありますが、川柳と全く似たもの同士です。「説明文になってはつまらないので、遠すぎず近すぎず障子一枚向こうを詠む。そして気品、風流を心がける。」とあってはほぼ同じでしょう。書く機会を持つことは大切なことです。普通の生活で老いればますます減ります。こうした機会を見つけられた天野さんは幸運です。ボクはもっと幸運ですが・・・。そして句の良し悪しはあまり気にしないことです。いろいろ選をしていると思いますが、こうしたものに絶対的なものなどあるはずがなく、一人一派のつもりでいいです。選ばれないからと悲観することなく、続けることがまず大切です。
 




2016/12/06(Tue) (第2365話) 譲り合い寺さん MAIL 

 “自転車で買い物に行くとき、よく使う道があります。その道は狭く、前方から自転車が来ると、どちらかが譲らなくてはいけません。なるべく自転車を降りて相手の方を優先するようにしています。「どうもありがとう」と言ってくださる方、会釈してくださる方、無言で通られる方。いろいろな方がいるなと思います。別に、お礼を言っていただきたいのではないのですが、「ありがとう」と言われると、ほんわか、うれしい気分になります。
 先日、その道を通ったときのことです。前から自転車が来ました。さっそく降りようとしたら、その女性が降りて明るい声で「どうぞ」と。驚きとうれしさで胸いっぱいになりました。「ありがとう」と言って先に通りました。私が自転車を降りて、人に道を譲ったときも、みなさんはこんなふうに幸せな気分になるのかなあと思いました。
 この道を通るとき、前から人が来ないといいなと思ったこともありましたが、譲ってもらってうれしかったこともあり、また、どなたかと、この道で出会いたい。「どうぞ」「ありがとう」。そんな、ささやかな会話を楽しみたいと思っています。”(11月16日付け朝日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・丹羽さん(52)の投稿文です。ボクも全く同じような体験を常日頃しています。その道は車道と歩道は分離しています。しかし、車道は車幅いっぱいでほとんど路肩がありません。そして歩道も全く狭いものです。今自転車は車道を通るように言われていますが、こんな道の車道を自転車が通ったら事故続発、また車の大渋滞でしょう。誰も車道を通りません。歩道を自転車に乗って擦れ違うのは、若い人なら問題ないかも知れませんが、老人には危険そのものです。反対側は田んぼで低くなっています。またこの道は高校生の通学路です。ボクはほとんど場合、向こうから自転車が見えたら広いところで止まって待っています。ほとんどの高校生は無言で通り抜けていきます。言葉をかけてもらった記憶はありません。こちらが先に進んでいて、もう少しで広いところに出られる時、待ってくれればいいものと思うのですが高校生は平気で進んできます。こちらが途中で降りるのも危険で、恐る恐る乗ったまま擦れ違います。もう少し配慮がないものか、老人は赤信号だと言うことを知らないのかと思います。でも腹を立てていても仕方がありません。これを書きながら、これからは自分の安全を確保して降りて待ってみようかと思いました。相手側の反応や行動を見るのも面白いでしょう。声をかけられるのを期待しているのも楽しみです。




2016/12/04(Sun) (第2364話) 大凧の勇姿寺さん MAIL 

 “私が住む町では、来年一月八日に新春の風物詩「こうた凧揚げまつり」が開催されます。わが地区の絵柄は「風神霊神国屏風」の風神。有志と私たち区の役員で、八畳半の大凧作りの真っ最中。下書き用紙を百七十ほどのマス目に分け、二マスずつ鉛筆で絵を描き、彩色を施して乾燥させ、一週間ほどで完成させました。苦労したのが風神の顔です。眉毛の長短や口元などにさまざまな意見が出ましたが、原画のようにいかつい鬼の顔ではなく、優しい目をした童顔の風神になりました。
 次の作業は竹やぶから切り出した竹を薄く削る骨組み作りです。それが終わると百本以上の凧糸の取り付けに入り、師走には試し揚げをする予定です。参加者の皆さんは紺碧の空を飛ぶ自慢の大作を想像しながら、町内や全国各地から参加する大凧に負けまいと、作業に精を出しています。”(11月8日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の林さん(男・67)の投稿文です。何気なく見ていたり参加する行事も、当事者になると大きな能力や大変な労力がいるものです。ましてやこの幸田町の「こうた凧揚げまつり」などという大がかりにな催しは大変なものでしょう。170枚もの絵を描きひごを作り糸を付ける。大変な共同作業です。その作り方を聞き、やはりと納得です。
 昔は多かれ少なかれ、どの地域もこんな共同作業をしていた。それが絆となり、いろいろなところで助け合いになっていた。今はどうでしょうか。このような行事をするところはまだ絆も繋がっているでしょうが、多くの地域では行事がなくなってきています。いろいろな地域のいろいろな人が入り込んで、いろいろな考えがあり、まとまらなくなっている。また外へ出て働く人が多くなり、地域が生活の場でなくなっている。ボクの地域などその典型でしょう。結果、繋がりはどんどん減っているでしょう。それでいざという時の助け合いなどできるでしょうか。ボクは非常に憂えています。




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