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伝えたい話・残したい話

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2016/03/22(Tue) (第2243話)  きらきら参観日寺さん MAIL 

 “「じいちゃん、ばあちゃん、早く来てね」この日は孫の参観日。パパ、ママが仕事で行けないため、私たちが参観に行くことが多い。孫は特に、二時間目の体育の授業を張り切っていた。縄跳びである。前跳び、後ろ跳び、駆け足跳び、片足跳び、交差跳び、あや跳び、と。このごろ家でも一生懸命練習していた。
 体育館で見る一年生の子どもたちは、とってもきらきらしていた。こちらがびっくりするほど上手な子どもたちもたくさんいた。孫は前跳びと片足跳びに挑戦した。「どうか頑張って、力を出せますように」と心の中で手を合わせた。結果は両方とも真ん中ぐらいであった。夫は「あれだけできれば、たいしたもんだ」と平然としていた。
 学校から帰った孫は「緊張しちゃった」と悔しそうであった。いいところを見せたかったのだと思って「頑張ってえらかったよ」と声をかけると、表情が少し柔らかくなった。
 午前中、学校で立っているのは疲れる。でも「じいちゃん、ばあちゃん、早く来てね」と待ってくれている孫がいることは、幸せである。どんな姿でもいい、次の機会が楽しみである。”(3月1日付け中日新聞)

 岐阜県御嵩町の主婦・丹羽さん(女・70)の投稿文です。最近のこうした参観日は参観する人が多く、ごった返しているようだ。両親を始め、祖父母である。時には両方の祖父母が来ることもあるようだ。すると一人の生徒に参観する人が6人である。嬉しい悲鳴であろう。いい時代だ。誘われたじいちゃんばあちゃんは楽しみであろう。こうしたことができるじいちゃんばあちゃんは至福の時である。こうしたことができない人も多い。
 ボクには孫が2人、2人4人いるがどちらも両親は揃って行っているようだ。でも、二女の方は娘婿が小学校の教師で、行事が重なることが多く行けないことも多いようだ。妻は誘われると楽しみによく行っていたが、ボクは運動会以外ほとんど行ったことがない。でも今年の2月、小学4年の孫の2分の1成人式に出かけた。掛け合いで思い出を発表するなどいろいろな趣向が凝らされている。そして一人ずつ、将来なりたいことについての発表があった。普段見られないしっかりした姿に驚いた。孫の知らない姿が見られたし、ボク達の時代にはなかった催しに行ってよかったと思った。じいちゃんばあちゃんは孫に楽しみを与えて貰って感謝しなければならない。




2016/03/20(Sun) (第2242話) 粋な贈り物寺さん MAIL 

 “高校生の娘が、珍しく私にプレゼントをくれた。いったいなんだろう? まな娘からのプレゼントに胸をときめかせながら包みを開けた。出てきたのは100円ライター。それには「このライター、使い切ったらたばこやめます」と書いてある。
 周りから再三「やめろ」と言われてもやめなかった。ただ、娘だけが何も言わなかったので、唯一の理解者だと思っていた。だが、それは私の思いこみ。娘も本当はやめてほしかったのだ。翌日、娘の前で断言した。「これ、吸ったらやめるよ!」
 30年間の喫煙生活にピリオド。私は最後の1本に火をつけると、思いを込めてゆっくり、ゆっくり味わった。「今までで一番おいしそうに吸ったね」。娘が笑いながらそう言った。
 あれから5年、今ではたばこの煙が大の苦手。こんなにきっぱりやめられたことに、我ながら驚いている。かわいい包み紙の贈り物。開けると小さなライターに「たばこやめます」の文字。これには心動かされた。父親というもの、やはり娘には弱いのだ。粹なプレゼントに感謝である。”(2月28日付け朝日新聞)

 長崎県南島原市のセラピスト・末吉さん(男・55)の投稿文です。「このライター、使い切ったらたばこやめます」と書かれたプレゼント、本当に賢い娘さんだ。ただ止めよ止めよ、止める止めるだけでは止められない。それがたばこらしい。ある程度許して止めさせる、こんな賢い娘さんに父親の末吉さんも止めない訳にはいかなかった。参る訳だ。そしてこんな投稿になるのだ。
 ボクのたばこは学生時代にほんの数本かじっただけであるので、全く吸わなかったと同じである。家族は誰も吸わなかった。娘婿達も吸わない。全く無煙の家族である。そんなこともあってか、たばこ吸いは好かない。だいたい吸わない人への気遣いが足りない。町中はたばこの吸い殻だらけである。ごみ拾いの活動もたばこの吸い殻を拾っているようなものだ。先日、名古屋女子マラソンの前日に沿道のごみ拾いをしたが全くたばこの吸い殻だらけであった。自分はそんなポイ捨てはしたことがないという人も信じない。受動喫煙の方が害は大きいと知ってますます憤慨である。たばこ吸いの方も昔に比べ気遣いをするようになったとは思うが、まだまだ足りない。吸わない人の立場で立ち振る舞って欲しい。




2016/03/18(Fri) (第2241話) 親切な道案内寺さん MAIL 

 “先日、雪が積もり、私は初めて電車で登校することにしました。しかし、乗ったことのない路線だったため、乗り場が分からなくて困っていました。高校の三ヵ年皆勤を目前に、絶対遅刻するわけにはいかない、次の電車に乗らないと間に合わない、でも時間がない、とパニックに陥り、泣きそうでした。
 そんなとき、前を歩いていた若い男性がわざわざ来た道を戻ってきて「どちらへ行かれるんですか」「それなら、この道を階段のある方向へまっすぐ行くと、分かりますよ」と細かく教えてくださいました。その男性のおかげで無事、時間通りに登校することができました。違う意味で涙があふれました。
 私は、その日のことを一生忘れないと思います。同じように困っている人に出会ったとき、私は手助けができていたか考えさせられました。彼のように周りをよく見て、そういう人がいたら、手助けができるようにしたいです。”(2月26日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の高校生・熊谷さん(女・18)の投稿文です。3カ年皆勤すると誓って通学してきたことが、最後になって怪しくなった。そんなとき助け船を出してくれた人がいる。感激であろう。幾つになっても思い出すであろう。そしてそんなときは優しい気持ちになる。いい体験をされた。若い時の体験だけに生かされる期間も長い。
 ボクは先日「人生で起こること すべて良きこと」と言う本を読んだ。なかなかこうは素直に思えない。しかし、「人生で起こること すべて深い意味がある」には素直に納得がいく。ボクは今、大分改善されたと思うが、まだ尿が垂れ流し状態である。これに意味があるだろうか。あると思えばあるのだ。昨日まで知らなかった辛さがある。この世の多くの人はこの辛さを知らない。ボクは知ってしまった。知ったことに意味がある。苦しむ人の気持ちが少しは理解できるようになったろう。「人間は死ぬまで生きている」という言葉もあった。ふざけるなと思える言葉であるが、生きていて死んでいる生き方の人もある。生きているなら生きているような日々を送らねばいけない。
 最後は大分年老いた話になってしまったが、熊谷さんには本当によい出来事だった。




2016/03/16(Wed) (第2240話) いとこ会寺さん MAIL 

 “立春が過ぎた二月の土曜日に、母方のいとこたちが集い「いとこ会」を開きました。母は九人きょうだいで、母を含めて五人が亡くなっています。その子どもたちは、上が七十五歳、下が五十歳で、総勢二十八人です。母たちが仲の良いきょうだいだったので、子どもの私たちもいとこ同士で親しくしています。
 一年ぶりに会って、食べて飲んで話して笑って、そんなみんなの顔を見ていると、似てないようでやっぱりどこか似ていて、ああ血がつながっているんだなとあらためて思います。
 昨年のいとこ会で、最年長のいとこが「自分たちの親は誰ひとり悪く言われなかった。みんないい人だった。それは、祖母がそういうふうに育てたからだ」と話してくれました。遠い昔に亡くなった祖母から、温かい贈り物をもらったような気がしました。
 今年のいとこ会では、最年長のいとこから「みんなに会えて幸せだ。みんながいとこで良かった。このいとこ会をずっと続けていきたい」という言葉がありました。私も、母がつないでくれたこの絆を大切に、来年も笑顔でみんなに会えるように、誠実に過ごしていきたいと思います。”(2月25日付け中日新聞)

 静岡県磐田市の会社員・円山さん(女・57)の投稿文です。総勢28人のいとこ会とは羨ましい限りである。どういう形にしろ親族が親しく触れあうというのはいいことである。最近は一般はもちろん、親族でも会う機会が減っている。昔を思い起こせば法要はもちろん、盆正月、祭礼など機会を見つけて集まったものだ。以前は法要と言えば何十回忌も行ったものだが、最近では7回忌、家によっては3回忌で終わる場合も聞いている。そういうボクも、今年は母親の7回忌であるが、これ以降は全くの身内だけにしようと思っている。
 昨年はボクの体のことで中止にしたが、一昨年前まではわが家に25人以上が年1回集まっていた。妻の兄弟家族が皆集まるのである。ボクの家族だけでも10人。最年長者はボクでほとんど皆来る。来ることになっていた。今年はどうなるだろう。こうした話を聞くと続けたい気がする。




2016/03/14(Mon) (第2239話) 案内板再考を寺さん MAIL 

 “大学で観光まちづくりを学び、卒論で岐阜県中津川市の馬籠宿を調査してきた。中津川市は馬龍宿のような歴史的景観が多く残り、豊かな自然に恵まれた古里である。そして馬籠宿は最近は年間五十万人以上が訪れている観光スポットだ。しかし今回、実際に中山道を歩き回り、たびたび残念な思いをした。道中にある案内看板が朽ち、風化し文字が読めないものが多くあったからだ。
 これでは観光客にとって道が分かりにくく、中山道の美しい景観を十分に楽しむことができない。近年は外国人観光客も増加しており、日本を代表する街道の一つとして大きな問題だ。今後中山道が、中津川市が世界に語る観光地になることを望む。そのためには、まず朽ちて倒れている案内看板などは直したい。多言語化での情報発信など、馬籠宿のユニバーサルデザインも推進する必要がある。私も市民として、その活動を企画していきたいと強く願っている。”(2月25日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の大学生・林さん(男・22)の投稿文です。いいことを投稿して頂いた。ボクも常々思い、言ってきたことである。説明板の設置や改修など他のことに比べれば大してお金のかかることではない。特にすでに設置してあるものの古くなって読めなくなったものは速やかに対処して欲しい。担当部局の関心のなさが知れる。大したことではないが効果は大きい。ボクなどウォークで各地の史跡などを訪ね歩いているものにはこうしたものを見ると全く残念な思いに駆られる。そして少しでも多く設置して欲しいと思う。現地に今は何もなくても説明板や標識だけでもあると全く違う。
 最近ではQRコードの設置など大きな費用をかけている団体もある。作るときに熱心でも作ってしまえば終わりという場合が多い。一つには役所の職員配置に問題もある気がする。作るときに熱心だったが職員がまもなく転勤となってしまい、後任はすでにあるものに無関心と言うことがあると思う。組織として対応して欲しいものだ。




2016/03/12(Sat) (第2238話) 父の分まで寺さん MAIL 

 “十五歳の時、健康で丈夫な父が、無念にも事故死した。私と四人の弟妹、病弱な母を残して。中学卒業式の二ヵ月前、私たち家族の運命が一変した一日だった。学校で模擬試験を受けていると突然放送で呼び出された。帰宅すると、前日まで元気に仕事に出掛けた父の姿と同じ人と思えない、信じられない悲しい姿となっていた。
 「かたしッ、これからどうするッ」「お母ちゃん、俺働くよッ」。泣きながら大声で叫んだまでは記憶しているが、後のことは全く覚えていない。高校進学は諦め、働いた。
 あれから六十年、貧しかった生活の中で母を支えた五人は、それぞれの道を歩み、今日まで来られた。私たちは父の亡くなった年齢をとうに越し、私は母が亡くなった年齢まであと四年となった。父母は天国で見守ってくれていると信じている。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の川崎さん(男・75)の投稿文です。川崎さんは15歳の時、高校受験を前にお父さんの死で将来が一変した。進学をあきらめ働きに出る。人生、自分の思い描いたとおりに行く人もあろうが、そうはいかない人も多い。自分以外の人のことで、自分の将来が変わる。例えば毎日多くの交通事故が起きている。被害者になっても加害者になってもその事故で家族の生活は大きく変わっているだろう。前回の「話・話」のような病気で家族の生活が変わる場合もあろう。こんな人が毎日どれだけいるであろうか。こう考えると、平穏に生きられると言うことは非常に恵まれた人なのだ。
 実はボクも父の交通事故で将来が変わった一人である。ボクが中学1年生の秋、父が青果市場へ野菜を運んでいるときに交通事故にあった。生死をさ迷ったが、2ヶ月ばかりで退院した。ボクは百姓の長男である。当時百姓の長男は百姓を次ぐのが一般であった。父は当然そう考えるし、ボクも何の疑問も感じず、当然と受け止めていた。ところがこの入院中に、父は疑問を覚えたのである。ボクは田舎の優等生であった。先生などは「高校へ入れてやって下さい」と日頃から言っていた。そんな中で、こんな零細農業を息子にやらせていていいのか、この事故がきっかけで考え直しを始めたのである。そして、ボクは高校へ行き、大学へも行くのである。川崎さんと反対になった。描いたとおりに行かないと言うことは同じである。ただボクの場合、その後も良い方へ良い方へと展開したのである。




2016/03/10(Thu) (第2237話) 美術展に出品寺さん MAIL 

 “「出してみようかな」去年の暮れに市の美術展の作品募集を見て、人前に出ることが嫌いな主人が言いました。「おっ、珍しい」と私は思いました。彼は三年前から木彫に取り組んでいるのです。
 八年前のお正月、脳梗塞で突然倒れ、「寝たきりになります」と医者から告げられた主人。五年間ぐらいは夫婦でお互いが分かり合えず、大変なこともたくさんありました。  三年前に木彫の先生に出会い、左半身まひの体で一生懸命に工夫しながら、木を彫り作品を作っています。今回は「右手」という作品を、大事な右手だけで彫り上げました。
 今回の美術展への初出品は、なんだか夫婦二人の病気に対しての一段落した気持ちが、彼を動かしたのかな、と感じました。賞には入りませんでしたが、これからの励みになったと思います。
 終わりのないリハビリと、感情のコントロールの難しさとの闘いは、まだまだ続きます。今のままの時間がこれからも続いて、たくさんの作品を作って楽しんでほしいです。
 本当は、作品の紹介文にひと言書きたかった私です。「これは右手一本で彫ったんですよ」って。”(2月19日付け中日新聞)

 愛知県豊明市の自営業・葛本さん(女・59)の投稿文です。また体の不自由な人の話になってしまった。今回はご主人の話を奥さんからの投書である。脳梗塞で半身不随になった人が、右手1本で木彫りをするのである。半身不随になった当初は引っ込み思案であったが、木彫りの先生に出会い、美術展に出品するほどに積極的になった。そんな夫を誇りに思っての投書である。
 最近は脳梗塞などで半身不随の人も多い。ボクに身近でも、小中学の同級生が50歳前に、娘婿のお父さんが60歳前に脳梗塞になり、未だ半身不随の生活をしている。この間、家族を含めて大変な生活だったろう。でもなったものはもういくら後悔しても元には戻れない。リハビリに努め、少しでも生活を改善するだけである。葛本さんは寝たきりになると言われながら、車椅子かどうか分からないが、木彫りができるまでになられた。いい手本である。生きているのだ。生きていれば生きている生活をしなければいけない。障害者は障害者なりに、健常者は健常者の生活をしなければならない。ボクも今は尿垂れ流しという不具者である。この間にいろいろ考えておきたいと思う。




2016/03/08(Tue) (第2236話) 掃除は「創自」寺さん MAIL 

 “私の勤める学校のグラウンドや体育館は、夜間や休日ともなると大会や練習試合などで多くの方が出入りします。どなたが始められたのか、そのトイレには、かわいいリサイクルフィルムや袋に包まれたトイレットペーパーが増えていきつつあります。「本日は体育館を使用させていただきありがとうございます」「いつもお世話になっています。大会でトイレを使わせていただきます」と書いて自分の団体名を末尾に記したメッセージカードが添えられています。
 その施設を守るべく、愛校心を持ち、感心するほど黙々ときれいにしてくれる子たちがいます。わが校では掃除を「創自」と呼んでいます。校長先生の背中を見て、なんとごみを拾いながら登校してくる子たちもいて、頭が下がります。
 見えない相手への感謝や、施設や地域を守ろうと頑張る子たちの思いのこもった活動にエネルギーを得ます。私もその輪につながっていきたいと思っています。”(2月18日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の学校校務員・和田さん(女・53)の投稿文です。使わせて貰うグラウンドや体育館に感謝し、少しでもいい環境になるようトイレを綺麗にする。こんな団体があるのか。誰かの発想から始まったのであろうが、素晴らしい。使わせて貰うという発想がいい。ここにもう感謝の気持ちが現れている。この感謝の気持ちがこうした行動になる。元は感謝の気持ちである。
 掃除を「創自」と言う発想があるのだ。掃除は自らを創り出す。掃除やごみ拾いをしながら、自らを考える。そこに感謝と人に尽くすことを知る。ボクの「話・話」は一般の人の話がほとんどだ。かけ離れた人の話では参考にならないことも多い。いや、そんな人を参考にして間違いになる場合もある。身近な人の話だけに学ぶことは多い。




2016/03/06(Sun) (第2235話) 駅員の連携寺さん MAIL 

 “先日、通勤で乗った名古屋市営地下鉄で感動した。桜通線で瑞穂区役所駅から乗ったのだが、私が乗った十二番ドアのすぐ内側に車椅子の乗客がいた。どこから乗ったのかは分からないが、吹上駅で下車する時、ドアが開くと同時に、駅員が車両とホームの間に車椅子用の渡り板を置いたのだ。車椅子の乗客は、それによってスムーズに下車することができ、他の乗客もスムーズに乗り降りすることができた。
 車椅子の乗客を乗せた駅で、駅員が「どこまで行かれますか?」と聞いて「吹上まで」との答えに、すぐ吹上駅へ「○○番列車の○○番ドアから車椅子の乗客を乗せた。対応よろしく」という連絡をしたのだろう。職員の車椅子乗客に対するグッジョブぶりに拍手。”(2月17日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・榊原さん(男・58)の投稿文です。非常に感動して書かれているが最近よく見かける風景である。一昔前を思うと隔世の感がある。それだけ係の人は努力をされてきたのである。バリアフリーの施策が図られ、体の不自由な人も町に出かけやすくなった。高齢化社会になり、車椅子や補助の必要な人が多くなったこともあろう。そしてよく見かけるようになった。優しい社会になったのだ。嬉しいことである。どの人もいつお世話になるかもしれないのだ。この地下鉄の職員のようにこうしたことに係わる人の理解は深まったが、全く無頓着の人も多くなった気がする。スマホなどに夢中で人のことなど無関心の人が多い。優先席にも全く躊躇なく座る。車内放送や注意書きなど全く気にしない人も多い。良くなった面もあるがまだまだである。




2016/03/04(Fri) (第2234話) がんなんかに寺さん MAIL 

 “今や二人に一人が、がんになる時代。わが家も例外ではない。今から一年ほど前、離れて暮らす息子から突然メールが届いた。「舌の痛み、がんかもしれん」。以前から舌の痛みを訴えていたが、私も息子もただの口内炎と思い、病院にも行かずそのままにしていた。診断は舌がんで、一番進行度の高いステージ4。息子は高校一年生の時に上咽頭がんを患い、今回は二度目のがん宣告。手術で舌を全摘出したため、言語に障害が残り、食べる物もかなり制限される。
 自分だったら、この現実をどんなふうに受け止めただろうか。きっと自暴自棄になっていたに違いない。でも息子はいつも冷静で堂々としていた。落ち込んだり弱音を吐いたり、不安を口にしたりすることはなかった。どんなにつらく、苦しくても、いつも明るく前を向いて生きている息子を、私は諦りに思う。強い精神力で、これからもいろんなことを乗り越えていってほしい。息子よ、がんなんかに負けるな!”(2月17日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の会社員・近藤さん(男・42)の投稿文です。自分がガンに侵され、がんセンターに通い、がんに対する関心は一気に深まった。がんセンターに行けば老若男女を問わず患者で溢れている。がんセンターであるので、患者はほとんどがガンであろう。新聞などもがんの記事で溢れている。2人に1人と言われて、それも実感する。
 誰でも大変だが、特に若い人は大変である。これからの人生である。死ぬことも大変だが、生きることも大変だ。近藤さんの息子さんは、高校生の時から患ったと言われる。親が感心するほど冷静に受け止め、堂々としておられるという。内心はいかほどのものか、常に苦しみや葛藤があるのではなかろうか。でもそれを面に出さない。出さないことによって自分を保っている、間違っているかもしれないがそんな気もする。
 がんの症状は様々である。遅くなるほど大変である。早期発見早期治療である。ボクはまさにこれであった。ボクは実体験者として、これからいろいろな機会に話していこうと思う。




2016/03/02(Wed) (第2233話) 励まされた言葉寺さん MAIL 

 “「落ち着いて、失敗してもいいから」。この一言は、どん底にいた私を引っぱりあげてくれたような気がした。同じ太鼓クラブの子の言葉だ。
 太鼓クラブに入ってすぐは、楽ふをなかなか覚えられなかった。太鼓の練習も勉強も頑張ろう、とやってみてもスムーズにできなかった。
 本番のときの練習時間に、なかなかたたけない私を見て、年下のその子が「落ち着いて、失敗してもいいから」と言ってぐれた。少しうれしかった。できないことが多かったのに、できるようになっていった。
 本番では、リズムよくたたけた。ミスもなくたたけたから、その子のおかげだなと思った。この言葉は、私の大切な言葉になっている。失敗したときは、すぐにこの言葉をとなえる。おかげで立ち直ることができた。いつまでも忘れられない言葉になると思う。”(2月13日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の小学生・小松さん(女・12)の投稿文です。小学生の投稿文です。年下の子からの言葉を素直に受け入れる。言う方も言う方だが、聞く方も聞く方である。素直なやりとりに感心する。こういう姿勢が大切である。「落ち着いて、失敗してもいいから」いい言葉である。この言葉は幾つになっても、どんな場面でも生きるだろう。失敗を恐れることが失敗を誘うことは多い。失敗をしてもいいと思う気持ちが平常心を保つ。小松さんは「いつまでも忘れられない言葉になる」と言われるが、本当に忘れないで欲しいと思う。この子との絆にも。




2016/02/29(Mon) (第2232話) 学びたい熱意寺さん MAIL 

 “アルバイトの塾講師として、不登校だが一生懸命勉強する生徒を受け持ち書いた投稿「学校嫌いでも勉強好き」が昨年十二月の本欄に掲載された。反響を呼び、私のもとには知人を介して多くの依頼が舞い込んでいる。そのなかに、通信制高校に通う十六歳の少年からの依頼があった。
 彼は中学時代に不登校で、基礎知識を持っていない。高校の授業に出席してみるものの、彼にとっては内容が難しく、わからないからつまらない。そのため授業にはほとんど出席せず、アルバイト中心の生活を送る。そんな彼からの依頼は、高校でついていけるよう基礎からやり直したいから、私を家庭教師として、中学校の内容を教えてほしいというものだった。
 その費用を、自分のアルバイト代から払うというので、驚いた。まだ十六歳の彼のその一言に、並大抵でない熱意を感じた。彼は心から変わりたいと願っているのだ。その熱意を信じて、最大限のサポートをすることを決めた。”(2月11日付け中日新聞)

 岐阜市の大学生・山田さん(男・21)の投稿文です。中学生時代不登校だった少年が、通信制高校に入ったが、さっぱり分からない。そこで、アルバイト代を使い家庭教師に来て貰うというのである。学びたい、知りたいと言う自ら生じた欲望である。多分大きな結果を生じるだろう。
 大半の高校生は、また大学生も成り行きで通っているであろう。ほとんどが行くから行く、親が行けというから行く、将来を考えると言っておいた方がいいから行く、それが大半であろう。学びたい、知りたいと言う切なる欲望の人は少ない。学校は学ぶ場所である。学びたいという切なる欲望を叶える場所である。でも上手に過ごし、学歴を取って卒業していく。ボクの時代は今とは随分違う。それでもボクは、ただ中学高校の成績がある程度良かったら行っただけの気がする。学びたいという欲望ではない。行っておいた方が将来有利だろうと言うことであった。もっと有益に過ごすやり方があったはずだ。もったいないことをした。
 それでも夜学生となると、少し違ってくる。学歴もあるが、学びたいという欲望の人が多くなる。ボクは夜間大学にも通ったので、その実態を少しは知っている。昼間とは違うと思った。働いた後、通うのである。ただ行くだけにこんな苦労はできない。




2016/02/27(Sat) (第2231話) しょうゆの縁寺さん MAIL 

 “高校入学と同時に、電車通学が始まった。満員電車に慣れなかった私は、登校が苦になった。嫌々ながら電車に乗っていたある日、網棚の上に置いたかばんから、弁当のおかずのしょうゆが染み出し、網棚の下の席に座っていた男性の背広の肩に落ちてしまった。
 電車は終着駅に着いたが、背広の主は気付かない。私は男性に声を掛けた。「ごめんなさい」と頭を下げると「一緒に行こう」と言った。私の高校の先生だった。
 私の学生服を見て、自分の学校の生徒だと、分かっていたようだ。先生は「罰として、サッカー部に入らないか」と言われた。それから三年間、先生には進学のこと、部活動のこと、職業観や倫理観など、いろいろな悩みを聞いてもらった。夢も語った。もちろん、通学電車は苦にならなくなった。
 その後、先生には仲人にもなっていただいた。先生は、今も元気で活躍しておられる。”(2月7日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の山木田さん(男・68)の投稿文です。何とも愉快な楽しい話である。山木田さんはボクと同じ年代である。この話からボクもそんなことがったことを思い出す。後にゴムパッキングのついたおかず入れが出てくるが、それがまだない時代である。アルミ製の弁当箱にご飯とおかずが一緒に入っている。おかずは煮物がほとんどである。弁当のおかずの汁が外まで垂れだし、袋や鞄まで汚してしまう、ボクもよくあったことだ。ボクにどんな失敗があったかは思い出せないが、山木田さんの話は愉快だ。先生が「罰として、サッカー部に入らないか」と言われたのもまたいい。出会いが出会いだけに親密感が生じたのであろう。長い付き合いになった。これが縁である。良い縁になった。人生でこんな縁を幾つ持てるか、ひとつの分かれ目の気がする。
 先日の一宮友歩会2月例会で面白いことがあった。60回にしてボクは始めて歩けなかった。終えていろいろな報告が来た。ある寺院で説明を受けたという。そんなことは頼んでなかったので驚いた。調べて見ると、以前説明をお願いした人であった。寺院からこんな団体が来ると聞いて、説明を買って出たという。その後メールをやりとりしていろいろな縁が分かった。良い縁となった。これから先の楽しみが増えた。




2016/02/25(Thu) (第2230話) 運転手さんのお陰寺さん MAIL 

 “娘のセンター試験の日、仕事から帰宅すると、主人が「担任の先生から電話があって、あと20分で来なければ試験が受けられませんと言われたんよ。ああやらかしたと思ったけど、『無事に終わった』って本人からメールがきたから、大丈夫と思うよ」と言う。
 何かあるかわからないから1時間前に会場に着くように、お金も余分に持っていくように伝えていたが、私の頭はパニック気味に。娘は2時限目からの受験と思い込んでいたが、本当は1時限目から受験しなければいけなかったらしい。
 しばらくして娘が興奮して帰ってきた。バスの中で先生から連絡を受けた娘はタクシーに乗り換えた。運転手さんに事情と所持金を伝えると、「間に合うことが先だから」と言って、所持金では足りない都市高速を通り、見事なハンドルさばきで試験開始10分前に到着してくれたという。机に座ったのは3分前。でも気持ちを落ち着かせて受けることができたそうだ。
 翌日、タクシー会社に不足分の支払いとお礼に行ったが、その運転手さんには会えなかった。本当にありがとうございました。センター試験のたび、娘はあなたを思い出すでしょう。”(2月6日付け朝日新聞)

 北九州市の看護師・森山さん(女・55)の投稿文です。心優しい運転手さんに出会えて、間一髪セーフの話である。センター試験ともなれば人生を左右しかねない試験である。それを勘違いして遅れ、タクシーの運転手さんの機転で間に合った話であるが、これは森山さんの娘さんに大いに反省してもらわねばならない。何事にも間違いはあるものだが、していい間違いとしてはいけない間違いがある。これはしてはいけない間違いである。もし間に合わなかったら一生悔やむことになる。この事件を教訓に、今後を過ごしていて欲しいものだ。それがこの運転手さんに対する最高のお礼になるだろう。
 もし間に合わなかったら、それで人生終わりではない。また別の人生があるだろう。人生何がどうなるか分からないものだ。学校など、人生のほんの一端である。いつも前を見て歩いて行きたいものだ。




2016/02/23(Tue) (第2229話) 字を書く楽しみ寺さん MAIL 

 “「よしこちゃんは字が下手だな」。小学3年生のころ、担任から言われた。がっかりするよりも、「そっか、私は字が下手なんだ」と納得してしまった。大人になってもうまくはならず、あのときの一言を言い訳にしていた。反省もたまにはして、ボールペン習字、書き方入門など通信教育に幾度かチャレンジしたが、続かなかった。
 退職後、思い立って書写の教室へ週に1回通いだした。万年筆を手にするのは40年ぶりだろうか。軽く滑るように書けて疲れることもなく、ほぼ皆勤で続いている。
 3年が過ぎて、行書や草書という日常では使いそうにない文字に至った。書くことはおもしろく、「私は好きだ!」とわかった。上達のほどは定かではないが、自分ではちょっと上手になってきたかなと思っている。今は「天声人語」の書き写しも始め、漢字練習、脳トレも兼ねて楽しんでいる。
 最近はEメールでやりとりしている若いころからの文通友達に、いつかびっくりされるような字で手紙を書きたいと思っている。すてきな便箋だけはもう、準備しているのだけれど。”(2月5日付け朝日新聞)

 東京都府中市の主婦・亀谷さん(62)の投稿文です。昔に比べ、今はあまり字の上手下手を問題にしないが、実際には大変な違いがある。字の上手な人は尊ばれ、人格さえ上に見られる。昔は多くの人が上手だった。読み書きそろばんと言って、書くことを重視していた。最近は、パソコン等でき全く軽視している感がある。本当に下手になったと思う。機器がいくら普及しても書く機会はある。そんなとき上手な人は目立つ。上手な人の価値が上がったとさえ思える。亀谷さんは下手と言われながら、50歳後半から書くことを学び始められた。思いついたときが吉日、始めるのに遅いということはない。また老後には、頭や手を使いいい過ごし方であろう。
 ボクも上手とは言えない。随分損をしてきた気がする。幸い妻が上手であるので、助かることが多い。慶弔袋などはいつも書いてもらっている。
 「天声人語」の書き写しはボクも数年前から始めた。まだあまり熱が入っていないが、時折時間を見つけて書いている。全く慣れないが、ゆっくり続けていこうと思っている。




2016/02/21(Sun) (第2228話) 不満日記寺さん MAIL 

 “日記は中学時代から書いていました。子育て時代は夫への不満、思うように進まない子育て、夫の実家との付き合いなど不満ばかりをかくことでストレス解消していました。
 ある日、クラブの仲間と日記の話題になり、自分の意見を話したら、友人が「もし貴女亡き後ご主人がその日記を見つけ読まれたら悲しい思いをされ、何も知らなかった方がよかったと思うのでは。築いてきた夫婦の絆が一瞬に切れ、ショックも大きいでしょうね」と言いました。確かに私の日記は夫への不満が多かったと反省し、今までの日記は全て捨てました。
 20年前から5年日記にし、毎食の献立、その日の出来事、お互いの健康状態、友とのつきあい、子ども、孫との楽しいことを書きます。書くスペースが少ないのでほとんどが記録です。最近の自分の生活は年とともに平凡になり、ゆっくりペースでストレスもなく不満を書くこともあまりありません。残された家族が悩まないで処分できると自分では思っています。これから何冊書けるかわかりませんが、続けられるまで書きます。”(2月3日付け朝日新聞)

 愛知県一宮市の加藤さん(主婦・74)の投稿文です。日記の効用はいろいろある。その人の使い方次第である。加藤さんは不満を書き、ストレス発散の場所として活用されてきた。これはこれでよかったのであるが、高齢となり、行く末を考えるときが来て、さあこの日記をどうすればいいのか。加藤さんは人に言われて、アッサリと捨てられたのである。ストレスは発散すればそれで終わりである。目的は達したのである。未練もあったろうが、これで良かったと思う。
 さあボクはどうだろうか。今3年日記が11冊になっている。記録的意味が大半だと思うが、不満が書いてない訳ではない。人の批判も書いてあろう。子供らには、自分が亡くなったらスッパリ捨ててくれとは伝えてある。でもすぐには捨てられず、またヒョッとして興味を持ってみるかもしれない。ここはやはり自分で処理した方が良さそうだ。書いた時点で大きな役目は終わっている。過ぎたものはもうほとんど見ることはなかろう。古いものから順次捨てた方が良かろう。もう少し考えて見よう。




2016/02/19(Fri) (第2227話) 心の病に寺さん MAIL 

 “私は思春期のころより、今日までさまざまな心の病を抱えて、苦しんできました。同じように、もがき苦しまれている方に、何かプラスになることを書きたいと思いつき、ペンを取りました。簡単です。「か行」です。
 「か」考え過ぎない。「き」規則正しい生活をする、気にしない、気分転換を図る。「く」薬をきちんとのむ。「け」ケース・バイ・ケースで考える。「こ」根気強く待つ、治す。
 さらに、自分なりの方法を考えてくださると、いいと思います。例えば、私の場合は「好きなことをする」です。
 私は長い間苦しんできましたが、今では悩みに救われた、悩んできたことが自分の成長にプラスに作用したと思っています。しかしながら、今もって苦しんでいます。最後に言ってあげられることは「一緒に頑張ろう」という励ましです。”(1月27に付け中日新聞)

 三重県名張市の細見さん(男・50)の投稿文です。五十音を教訓にした話は過去にもいろいろ紹介しましたが、久しぶりの話題です。人それぞれ自分に合ったように作ればいいのです。細見さんはいろいろ悩まれた人のようです。そうした中でこのような教訓になったのです。この心構えを持つことによって良い生活になるのです。覚えやすい5語にすればすぐに思い出せ、心構えを立て直せる。人間は弱いものです。何かネガティブなことがあるとすぐに崩れる。そんなときこんな知恵があれば、スムーズに立て直せるでしょう。
 ボクも今、手術後の経過が面白くなく、ついネガティブになりがちです。ボクにはこんな5語はなく、しまったと思っていますが、この「話・話」でいろいろな知恵をもらっているので、今のところあまり悲観的にならずやっています。




2016/02/17(Wed) (第2226話) 書き初め会寺さん MAIL 

 “わが家の恒例の書き初めを、九日に四人でした。ガラス越しに冬日のさんさんとふりそそぐ座敷の座卓にロウバイを生け、焼きそばランチでもてなした。昼食後、静かに墨をすり、筆を運ぶ。
 四十四歳のめいは「ひとに優しく、己に厳しく」と書く。スタッフ七人をかかえる彼女のスローガンだ。健闘を祈りたい。七十七歳の友は「触れあい、思いやり」。いつも優しく接してくれているが、秘めたものがあるのだろう。八十歳の友は「健康第一」と力強く書く。「健康だったら何もいらない」とも語る。誰もの究極の願いだ。
 私は、大きな文字で「感動」「感激」「感銘」「感服」と、四枚書いた。体力、気力のなえを感じるこのごろ、心の躍動感を味わいたい。最後は「翼をください」を四人で合唱した。歌のように身も心も自由な世界へはばたけますように。”(1月21日付け中日新聞)

 三重県大台町の主婦・上平さん(74)の投稿文です。身近な人が集まって書き初めをする、なかなかな趣向である。恒例と言われるからもう長いことであろう。花を立て座敷を整え、昼食も準備する。その後筆を持つ。忘れかけている日本の文化である。筆を持つ人はもう少ないであろう。書き初めであるので、書く言葉も新年の願いが込められている。多くの家庭で復活したい行事である。
 この文から、わが家でもある時期妻と二人でしていたことを思い出す。それは妻が習字を習っている頃だと思う。まさに40の手習いだった。師範まで取ったのだから我が妻ながら偉いものだと思う。わが家もそんな時代があったのだ。懐かしい。




2016/02/15(Mon) (第2225話) 礼儀正しい親子寺さん MAIL 

 “定年後、市のリサイクルステーション管理のバイトを始め三年になります。新聞、雑誌、飲料缶、ペットボトル、古着などが持ち込まれます。会社員生活よりも、世の中いろんな人がいると痛切に感じます。
 年末は大忙し。品物を投げ込まれてイライラしたり、こごとを言われたり言ったり、腹の立つことが多くあります。そんな中、両親と小学二年生くらいの男の子がきました。男の子の第一声は元気に「こんにちは、おねがいします」。分別方法を母親に聞き整理して袋に入れ、帰り際にまた「ありがとうございました」と元気な声。「両親のしつけがしっかりされている家庭だな」と感心しました。
 「僕偉いネ、将来誰にも好かれるすばらしい大人になるネ」と言うと「はい」の返事。母親はそばで「ありがとうございます」と笑み、父親も「ごくろうさんです」と言ってくれました。忙しい中、感動した気持ちで新年を迎えられました。”(1月21日付け中日新聞)

 愛知県豊田市のアルバイト・牛木さん(男・68)の投稿文です。この会話を見ていると本当に礼儀正しい親子です。「子は親の後姿を見て育つ」という。まさに「この親にしてこの子あり」である。お金を払っているのだからしてもらって当然、お礼を言うのはお金をもらう方、と言うお金を中心にした傾向があるが、これは大間違いである。してもらう、させてもらう、五分五分である。どちらが欠けても成り立たない。その時の需要供給の力関係ではない。そんな心がけで人生過ごしていきたいものだ。そこに感謝の気持ちが現れ、この親子のような姿になる。




2016/02/13(Sat) (第2224話) 7年で1冊寺さん MAIL 

 “夫が育児日記を買ってきたのは、長男の妊娠がわかってすぐの頃でした。日記なんて1週間と続いたことのない私。こんなもの書くわけがないと思いましたが、子どもの成長は早いもの。忘れっぽい私が何かに書いておくのはいいことだと考え直しました。
 しかし、長男が生まれ、2年後に長女が生まれると毎日忙しく、ゆっくり育児日記を書くことなどできなくなりました。それでも数日に1ページでも、数行でも、一言でも書き続け、7年かけて1冊が終わりました。
 うれしくて夫に「やっと1冊終わったよ」と伝えると数日後、夫はまた育児日記を買ってきたのです。「なぜ2冊目?! これ書くの大変なんだよ。あなたは買ってくるだけで書かないじゃない」。私は怒り、あきれました。しかし、7年かけて書き終えた育児日記には、確かに7年分の思いがつまっていました。ページをめくれば1、2歳の頃のことも書いてある長男は、いまや13歳。私の足のサイズも身長も超えました。
 2冊目も、もうすぐ終わります。夫に言ったら3冊目を買ってくるのでしょうか。きっとまた7年かかります。”(1月22日付け朝日新聞)

 東京都町田市の主婦・百田さん(43)の投稿文です。続いて継続の話になりました。気の進まない育児日記を傍に置いておき、気の向くときに書いていたら、7年で1冊を書き終えていた。2冊目も13年でもまもなく書き終える。習慣になってしまえば継続もたやすいことである。育児日記である。その内容は深い。家族の歴史になっているだろう。百田さんの日記は形を変えていつまでも続くだろう。
 ボクは3年用日記を使い始めたのは1985年だからもう32年11冊目になる。妻は結婚以来家計簿を日記代わりにしているのでもう47年になる。読み返してみたら凄いだろう。いろいろあって自分で感激するのではなかろうか。




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